プロフィール
杉岡 秀紀
杉岡 秀紀
1980年、奈良県生まれ。2003年同志社大学経済学部卒業、2007年同大学大学院総合政策科学研究科博士前期課程修了。2009年同博士後期課程退学。臨床政策学者。周旋家。2016年から福知山に移住。

専門は、公共政策、地域政策、地域公共人材論、大学まちづり論、NPO論、大学評価論。

大学時代から環境問題、まちづくりに関心を持ち、2003年にまちづくりNPO「きゅうたなべ倶楽部」を主宰(発起人)。地域に開かれた大学祭の創造や商店街活性化、フリーペーパーの発行・産学連携ITプロジェクト・商品開発・リユースフェアなどのコミュニティビジネスを武器に京都府南部地域におけるまちづくりに取り組む。

2007年からは、いったん地域から離れ、霞ヶ関(内閣官房)へ。行政改革推進本務事務局にて、社会保険庁改革に従事する。

同志社大学政策学部嘱託講師(2009〜2014)、一般財団法人「地域公共人材開発機構」事務局総括(2009〜2012)、京都府立大学公共政策学部講師・地域連携センター副センター長(2012〜2016)を経て、2016年秋より福知山公立大学地域経営学部准教授。京都府立大学京都政策研究センター特任准教授。

社会貢献活動として、龍谷大学地域公共人材・政策開発リサーチセンター 客員研究員、一般財団法人地域公共人材開発機構常任理事、一般社団法人社会的認証開発推進機構評議員、NPO法人グローカル人材開発センター理事、NPO法人京都子どもセンター監事、きゅうたなべ倶楽部アドバイザー、真庭市政策アドバイザーなどを務める。

主な著書は、『地域力再生の政策学』(ミネルヴァ書房、2010年、共著)、『地域貢献としての大学シンクタンク』(公人の友社、2013年、編著)、『地域公共人材をつくる』(法律文化社、2014年、共著)、『住民自治を問いなおす』(法律文化社、2014年、共著)、『もう一つの自治体行革』(公人の友社、2014年、編著)、『持続可能な地域実現と大学の役割』(日本評論社、2014年、共著)、『地域力再生とプロボノ』(公人の友社、2015年、編著)『地域創生の最前線』(公人の友社、2016年、編著)、『自治体政策への提言』(北樹出版、2016年、共著)など。

大学時代(2000年)に結成したバンド「シカゴプードル」では、2003年に京都学生祭典(KYOTO STUDENT MUSIC AWARD)でグランプリを受賞。2004年にCDデビューも果たした(2006年に卒業)。

【HP】 http://sugiokahidenori.jimdo.com
【ブログ】http://e013.dgblog.dreamgate.gr.jp/
【facebook】http://www.facebook.com/hidenori.sugioka/

【主な受賞歴】
2002年 「REALIZE In Kyoto(京都府南部地域における学生による地域政策・ビジネスコンテスト)」グランプリ受賞
2003年 「京都学生祭典 全国学生音楽コンテスト(kyoto student music award)」グランプリ受賞(Chicago Poodle)
2003年 「同志社大学育英賞」受賞
2004年 「エコ京都21」認定(きゅうたなべ倶楽部)
2004年  関西文化学術研究都市「都市びらき10周年」感謝状授与(きゅうたなべ 倶楽部)
2005年  内閣府「生活達人」認定
2005年  京都人間力大賞ファイナリスト
2007年  日本都市計画家協会「全国都市再生まちづくり会議」奨励賞受賞(きゅうたなべ倶楽部)
2012年  京都府「明日の京都」推進特別賞(地域公共人材開発機構)
2013年 「第7回全国大学まちづくり政策フォーラム」優秀賞受賞(杉岡ゼミ)
2013年 「第9回京都から発信する政策研究交流大会」優秀賞(杉岡ゼミ)
2014年 「京都府立大学学長賞」受賞(杉岡ゼミ)
2014年 「第10回京都から発信する政策研究交流大会」京都市長賞、優秀賞受賞(杉岡ゼミ)
2014年  2013年度京都府創発事業認定(京都丹波・写ガール隊)
2015年 「第9回全国大学まちづくり政策フォーラム」優秀賞、政策マネジメント研究所賞受賞(杉岡ゼミ)
2015年 「2015年京都丹波観光プランコンテスト」優秀賞受賞(杉岡ゼミ・京都丹波・写ガール隊)
2016年 「第4回 京の公共人材大賞」奨励賞受賞(京都丹波・写ガール隊)
2016年 「第10回全国大学まちづくり政策フォーラム」優秀賞、政策マネジメント研究所奨励賞受賞(杉岡ゼミ)
2016年 「京都府公立大学法人 理事長表彰」(京都丹波・写ガール隊、地域連携センター学生部会かごら)
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2011年12月31日

12.17の犬フェス・フォトギャラリー①


私の所属していた事務所GIZAから12月17日の写真が届きました。

当日来ていただいた方にはあの時の情景を思いだしてもらう媒体として、
当日残念ながら来れなかった方には当日の模様をお届けすべく、

「ワンワンワン」

の1月11日に公開しますね。
(以前執筆したライブ秘話を併せてお読みいただくとさらにイメージが深まると思います)

撮影はGIZA専属のカメラマンさんです。
(著作権がありますので、くれぐれも転載はご遠慮ください)

今日はサンプルまでにリハの風景1枚だけ公開します。

ではでは、皆さん本年もどうもありがとうございました。

良いお年を!



リハ風景。MCからほとんど本番通りのセットををこなす。つまり1度で二度ライブをする感じ

すぎおか拝
  

Posted by 杉岡 秀紀 at 22:45Comments(8)杉岡日記より

2011年12月27日

2012年1月1日放送ラジオカフェ「京都まちづくりナビ」

2012年1月1日放送ラジオカフェ(FM79.7)「京都まちづくりナビ」放送原稿

リスナーの皆さん、あけましておめでとうございます。

京都府内で人材育成に取り組んでおります、地域公共人材開発機構の杉岡と申します。

いや~辰年になりましたね。
昨年は東日本大震災もあり、「絆」という言葉が再確認された一年でした。
やはり「地域」を考える上で最後に重要になってくるのは「人」ということですね。

「人」という意味では、昨年度は京都府からも「なでしこJAPAN」のメンバーとして海堀選手が一気に全国区で有名になりましたが、今年はどんな京都発の「人材」が、辰年、龍のごとく現れるか今から楽しみです。

さて、機構も一メンバーとして関わっております「地域力再生活動を応援する公共人材づくり研究会」というものがあります。この研究会では、来る1月14日土曜日、午後1時より、京都府庁の旧本館正庁にて「京の公共人材(みやこびと)大賞」のプレゼンテーション大会(及び授賞式)を開催することになりました。

このイベントは京都府内で地域の課題の解決のために活躍する人材「個人」にスポットライトを当てて、表彰しようという京都発、また、全国初の試みです。

初年度からたくさんの応募をいただきましたが、当日は、「10名」の公共人材ファイナリストにプレゼンをしていただき、大賞、知事賞、スポンサー賞の3賞を決定します。

大賞賞金はなんと10万円!

なお、この研究会は機構のほか、京都府、NPO法人の同志社大学産官学連携支援ネットワーク、きょうとNPOセンター、まちづくりねっとうじ、京都丹波・丹後ネットワーク、遊プロジェクトで構成され、今回は特別に京都信用金庫さんに協賛(協力)を頂いております。

詳しくは、京都府のホームページ、地域公共人材開発機構のホームページ、または事務局の「遊プロジェクト京都」のホームページをご覧ください。

それでは、皆さん1月14日は京都府正庁にお会いできたらと思います。

http://kyotomachinabi.seesaa.net/index-2.html

(2011年12月28日収録)
  

Posted by 杉岡 秀紀 at 18:18Comments(0)掲載記事など

2011年12月26日

杉岡流仕事術【人材育成編②】

「知の無知」



自分が知らないことを知ることを

「無知の知」

という。

これは勉強だけでなく、仕事でも成長過程で最も必要な素養の一つであり、

「一生勉強、一生青春」

という観点からも重要性は高い。


ただし、これを人材育成の文脈に転じてみると、

「知っていることを敢えて知らないふりをする≪知の無知≫」

という瞬間が必要になってくる。


つまり、明らかに正解を知っているときでも、あるいは、
目の前の部下や後輩が間違えそうになっているときでも、
あえて知らないふりをすることが重要ということである。

言い換えれば、ジェームス・アレンのいう

「原因と結果の法則」

ではないが、あえて

「因果応報」


の現実を経験させるということである。


早稲田商店街の会頭の言葉だっただろうか。

「失敗は“けいけん”と読む」

という言葉がある。

もちろん、同じ過ちを二回も三回も繰り返すのは良くない。

ただ、

「マイナス経験からしか学べないこと」

は確かに多い。


したがって、ついつい経験値や成功体験が邪魔してしまうことがあるが、
立場が上になるものは、

「待つ」

ということを心がけたい。


「間」

があうからこそ、

「間に合う」

のである。

それが抜ければ、

「間抜け」

になる。


時間・空間・仲間・人間・etc…の言葉にも入っているように

「間」

はとにかく重要な鍵。


スローフードやスローライフもようやく市民権を得た今日である。

言うは易く、行うは難いがぜひ「知の無知」の精神で待つ鍛錬をしたい。

BGMはアミンの

「待つわ」

でも掛けながら(笑)。




  

Posted by 杉岡 秀紀 at 18:18Comments(0)杉岡日記より

2011年12月25日

杉岡流仕事術【人材育成編①】

「サンドイッチ褒め褒めロック術」


人を育てる方法には大きく、

①叱って育てる
②褒めて育てる


の2通りがあると思う。

①については、昔から

「かわいい子には旅をさせよ」

とか

「若いときの苦労は買ってでもせよ」

という格言があるように、巨人の星などのスポ根よろしく、これこそが一つの主軸であろう。

この際

「怒る」

ではなく、

「叱る」

というのもポイントである。

つまり、その差は

「愛情の有無」。

昔から親が子に対して

「お前(たち)がかわいいから父さんは叱ってるんだぞ」

というあれである。

愛憎という言葉があるように、

「愛情の大きさ=怒りの大きさ」

ということなのだ。
(実際は感情的になっている自分を正当化させるためだけに使ったりする時もあると思うが笑)


この逆は②で、とにかく褒めまくるという方法である。

これは分かりやすいたとえで言えば、カメラマンがグラビアなどを撮る時に使う

「いいねぇいいねぇ」

という声掛けのがイメージしやすい。
(土門拳というカメラマンはこの逆をやることで独特の地位を築いたようだが・・・)

いずれによせ、おべっかや嫌味は別として、褒められて気を悪くする人間はそういないである。

また、かの連合艦隊司令官長であった山本五十六氏の有名な言葉に

「やってみて 言って聞かせて させてみて 褒めてやらねば 人は動かじ」

という言葉もある。

きびしい軍隊の世界でもやはり褒めることが重要であるという証左であろう。


さて、上記も受け、私が提案(実践)しているのは、

「サンドイッチ褒め褒めロック術」。

別にロックにはたいした意味はないが(笑)、要は

・+→-:最後の印象が悪い(終わりよければ全てよしに反する)
・-→+:最後の印象が良すぎて、やや課題意識が薄くなる。

というそれぞれのデメリットを補完できるように、

「褒めサンドイッチしながら、主体性やプライドを傷つけずに、思わず改善したくなる心理」

に持っていくのである。

やり方は簡単。

「まず褒める→部分的に改善案を提案する→改善の姿勢が見られたら褒める」

このホップ・ステップ・ジャンプを繰り返すだけ。

これは言い換えれば、

「YES,but法」

ならぬ

「YES,but(、but)YES法」

と言えるかもしれない。

もちろん、無理やり迎合したり、嘘をついてまで褒める必要はないが、
どんな人間でもちゃんと向き合えば、良いところは一つ、二つは必ずあるもんである。

要は政治の世界に、政権発足1か月間はメディアが批判しない

「ご祝儀相場」

ではないが、人材育成の場合は、最初だけでなく、

「成長のプロセスの中に褒める要素を効果的にビルトインする」

のである。

最近部下からの信用力や信頼力が落ちていると思われる方は、ぜひ一度試されたい。


すぎおか拝  

Posted by 杉岡 秀紀 at 23:59Comments(0)杉岡日記より

2011年12月24日

サプライズライブ秘話おまけ(打ち上げ編)

2011年12月17日20時半。

一足早くステージを降りた私とサポメンの二人は、上手でメンバーを待つ。

「おつかれ!」

マルジ、山口、耕太の順でハイタッチで迎えた。

今年は「どや顔」という言葉が流行語になったが、ライブ、特にワンマンの後は、
いつもフルマラソンを走り切ったような、そんな独特な表情になる。


楽屋に戻り、今回の企画元のキョード―大阪さん、読売テレビの方、FM岡山の方
また、昔からずっと番組でお世話になりっぱなしのFM徳島の方などなど、続々と関係者の皆さんが
ねぎらいの挨拶に来てくださる。

そして、ファンの皆さんの楽屋訪問のため、もう一つの部屋に移動。

もう少し小さい会場であれば、本当の楽屋に通してあげられたと思うが、
今日はサポメンとサプライズゲストである私がいたこともあり、ディレクターが配慮したのだろう。

そうこうしているうちにファンの皆さんからメンバーへのクリスマスプレゼントが段ボールで
3~4箱分続々と運ばれてきた。

「ライブがクリスマスプレゼントのはずが、これじゃ逆サンタやね(笑)」

私はそんな感想をサポメンと交わした。

でも、このファンの皆さんの気持ちがこういう目に見える形で届いたものを見て、
ファンの皆さんの数が確実に増えていること、5年間の空白、そしてメンバーの頑張りを感じた。

蛇足だが、中にはサポメンの名倉さんや工藤さん宛てのものもあったが、
私宛てのものは今回はサプライズということもあり、もちろんなかった。

ちなみに、こういう手紙もメンバーは必ず一通一通その場で読むようにしている。

筆不精な3人なので、レスポンスすることはないと思うが、読むことは欠かさない。


21時半。

着替え、片づけ、挨拶も終わり、会場を後にした。

私はマルジの車、工藤さんは山口の車、花沢は名倉さんの車に分乗し、近所の居酒屋へ移動。



お店に着くと、取締役、キョード―大阪さん、FM徳島さん、FM岡山さんが先に到着していた。

「今日のライブの成功を祝して、乾杯!」

取締役の音頭で、打ち上げスタート。


山口とマルジは車のためノンアルコール。
山口はたしなむ程度飲めるのだが、今日は残念。

私のテーブルはFM徳島さん、FM岡山さん、そして、花沢。
今日の感想はもとより、5年間のことなどを色々語り合う。

杉岡「やっぱライブの後はビールやね」
花沢「叩かんといてや」

どうやらお酒がまわると、そうそう!ちゃうちゃうなどと言いながら、
バンバンと隣の人を叩く癖が昔からあるらしい。

そして、お酒がほろよく回ってきたところで、アンケートを持ったディテクターも合流し、
当日ファンの皆さんに書いてもらったアンケートを全員で回し読む。

マルジ「今回は杉岡君のコメントばっかりやな」
取締役「杉岡君が良いところは全部持って行ったね」

ファンの皆さんと直接は会話できなかったけれど、こうやってアンケートを通じて、
生の声を聴かせてもらえたことに、心から感銘を受ける。

花沢「いつでももどってき~や」
杉岡「いやいやいや」

などお酒ならではの冗談も飛び出す。


その後打ち上げは取締役の一本締で打ち上げは終了。

そして、打ち上げの締めにあたって、私からもお礼のプレゼントを取締役とディレクターに渡した。


繰り返しになるが、この取締役がシカプーの父である。

デビュー以降、地元のライブはもちろん、レコーディングにラジオに、
九州に四国に中国地方、中部に北陸、関東、北海道といった全国ツアーに
本当に1から10まで、時にはシカプーの上司として、時にはシカプーの同志として、
ある時はシカプーの盾となり、ある時は叱り役として、一番近くで応援してくれた。

私の結婚式のときには祝電もくれた。


また、ディレクターはその取締役の右腕として、ずっとシカプーと共に、
ある時はパートナーとして、ある時は見張り役として、ある時は仲間として、
全てのシカプーを支えてくれた人。

シカプーにとってはある種兄弟のような存在であり、
彼がいることでメンバーが安心できるという心の安定剤でもある。

私の結婚式の時には、メンバーからのサプライズVTRを作ってくれ、送ってくれた。

この二人がいなかったら、今のシカプーはない。

だから、個人としても、バンドとしても恩人なのだ。



時計は早や23時半。


取締役「もう一軒行くよね?」
杉岡「めったにない機会ですからね。行きましょ行きましょ」

ここから3時間、取締役とキョード―大阪さん、FM岡山さん、花沢と私の5人で、
久々の再会を祝い、今日のライブを振り返り、終始音楽話で花が咲いた。

そして、またの再会を誓い、それぞれの思いを抱きながら、帰途に就いた。



ホテルにつき、ふと携帯を見れば、メールやツイッターにたくさんのコメント。

たかが2曲、されど2曲。

お一人おひとりのメッセージが私の目頭を熱くさせた。

こういうファンの皆さんがあって、今のシカプーがあるのだ。

この感謝の思いだけは絶対に忘れてはいけない。


私は疲れた体に鞭を打ち、夜を徹して、お一人おひとりにコメントを返させてもらった。


日も代わり、太陽も昇ってきた。

そろそろバンドマンとしてのモードからいつものモードに戻す時間である。


今回のライブという最幸の宝ものをプレゼントしてくれた全ての方に感謝である。


今後この4人で演奏する機会はもうないかもしれない。

逆に、

また今回のように気まぐれで急に4人で演奏することがあるかもしれない。

誰にも分からない。

ただ、分かっていることは、

僕らの作ってきた音楽は、もはや自分たちだけのものではなく、
人を、人の心を動かす力を持っているということ。

そして、

その音楽の力を誰よりも信じ、誰よりも好きでいるのがこの4人であるということ

である。


この強い確信があれば、きっとどんな形でさえ、光を見ることができると思う。

その日が来るまで、今しばらく私はまた陰で支える

「元ミュージシャン、元メンバー、元シカプー」

でいるとしよう。


また逢う日まで。

≪おまけ≫









  

Posted by 杉岡 秀紀 at 14:23Comments(12)杉岡日記より

2011年12月23日

サプライズライブ秘話⑤(当日編その2)

2011年12月17日17時40分。

オープニングは映像チーム制作のVTR。

そして、ステージ上で、看板と目隠しの役割を果たす、身長大の

「one fes CHRISTMAS 2011」

の垂れ幕が落ち、いよいよライブスタート。

ベストアルバムの曲を中心としながら、舞台・音響・照明・映像チーム、
そして、メンバー、サポメンの音が一つに重なる。


私は最初舞台袖で1曲目を見たあと、ステージ横の2階席から見ていた。

そして、最初のMCのところで楽屋に戻り、そこからは再びストレッチしたり、
チューニングをしたりしながら、出番に備えた。

もちろん楽屋のモニターテレビで彼らの音は耳に入れながら。


ステージ上ので福井県越前市立味真野小学校の児童の皆さんによる

「桜色」

のVTRが流れ始めたころ、再び楽屋を出て、ステージの下手にスタンバイした。


現役の時はインストアライブなども含めて、年回100本くらいはステージに立ってきた。

アマチュア時代も鴨川のほとりでのストリートライブや数々のライブハウスで演奏を重ねてきた。

また今回の2曲の練習も時間の許す限り行った。

なので、緊張はない。

ただ、1点。

私が引退してからの歳月が5年も流れ、おそらくこの日のファンの皆さんの半分くらいは、
私が卒業してからシカプーを知ってくれた方である。

だから、どのように受け止められるか、これだけが不安であった。


昔からのファンの皆さんはきっと「おかえり」と迎えてくれることだろう。

これは昔から私とファンの皆さんとの絆を実感できていたので、良い意味で予測ができた。

ただ、3人のシカプー時代からしか知らないファンの皆さんにとっては、

「誰?」

とかえって違和感を感じられるかもしれない。。


花沢が楽屋で冗談で

「杉岡を紹介したら、杉岡のこと知っている人手を挙げて!てふるわ」

と言ったことも頭をかすめる。


たとえが良いか悪いか分からないが、SMAPのライブで、いきなり昔の森君が、
ドリカムで言えば、キーボードの西川氏が出てくるようなもんである。

つまり、オリジナル、いな、原点をしっかり受け止めてくれるかどうか。

私も彼らのライブを5年間見ていないため、これだけが全く予測できなく、
ステージに出る直前まで胸のひっかりのようなものを感じていた。


そして、いよいよ耕太からの呼び込み。

「今日はシカプーの歴史を語る上で欠かせない特別ゲストを呼んでいます。杉岡秀則~!」

ステージに上がる直前に下手にいたディレクターと

「楽しんできますね」

と握手を交わし、ステージに上がった。


ここからが当日ライブをご覧いただいた皆さんが見たあの光景である。


私の心配は杞憂で終わった。

新しいファンの皆さんにも満面の笑みが見られる。

そして、昔のファンの皆さんのお顔を見て、とにかく安心した。

中にはハンカチを目に当てる姿もあり、私自身もこみあげてくるものがあった。


よし、いける。

あとは全身全霊、誠心誠意思いを込めてギターに一曲入魂するだけだ。


ドラムの山口と目が合い、カウントが始まる。

ダン・ト・ト、ダン・ト・ト、ダン・ト・ト、ダン・・・


何度このドラムのイントロを聞いただろう、何度この曲を弾いただろう。

ただ、この曲が花沢と私の原点であり、シカプーの原点である。

言わば、ダイヤの原石の曲。

冒頭で振り上げた手がマルジのベースに当たるというかわいいトラブルもあったが、
平安神宮での京都学生祭典のファイナル、楽しかったビックキャットのワンマンライブ、
また自分の引退ライブなど色々なことを思い出しながら、一生懸命弾かせてもらい、
無事「Baby my Jenny」終了。


そして、いよいよMC。

「ちょっとだけ、ただいましました。杉岡です」

どことなく

「おかえり~」

という声も返ってきた。これほど嬉しいレスポンスはない。


そこから花沢リードのもと、辻本、山口も絡みつつ、5年ぶりに4人でのMCも実現。

ちなみに本番はステージに2枚のベストアルバムを持ち込んだ。

杉岡「一枚はスタッフにもらったけど、もう1枚はちゃんと買ったぞ(笑)」

これはリハまででは全くシナリオになかったMCで、勝手な私の即興の判断。

こういう即興性の中のやり取りにこそ面白いMCが生まれるのだ。


まだまだお話したいことは沢山あったが、やはりライブ全体の時間も考え、
腹8分目くらいのところでMCを切り上げ、私が音楽で一番伝えたかったメッセージ

「感謝」

の気持ちを書いた「オーレオ」へ。


後日談となるが、この「オーレオ」はプロになってから録音し直している。

その際に実はイントロやソロなどはコード進行も含めて、マイナーチェンジした。

なので、そのバージョンでも演奏は可能であった。

ただ、「History1」にはあえてアマチュア版を収録したこともあり、ライブも昔のバージョンで演奏した。


ライブ終了後、深々と感謝の思いを皆さんにお辞儀で伝え、私はステージを降りた。

降りる前にピックも前の方の席の方にプレゼントした。

これは現役時代はあまりやったことがなかったが、私からのプチサプライズというか、
感謝の気持ちを込めたプレゼントである。


ステージを降り、ディレクターとまず握手。

「大成功でしたね。かなり盛り上がりましたよ!」

実は今回の私の一日復活の仕掛け人は、当時マネージャであり、
デビューから1から10まで苦楽を共にした、彼である。

もちろん、最後に決断をしてくれたのはメンバーである。

ただ、彼からの提案がなかったら、今回私はステージにあがることはなかった。

同い年ということもあるが、このディレクターはまさに今回の仕掛け人であり、
フィクサーであり、何より5人目にシカプーと言っても過言でない。


興奮も冷めやらぬうちに、楽屋に戻った時に待っていたのは、GIZAの販売部門のI氏。

「杉岡君、良かったよ。ええ音してたな~。独特やわ」

I氏は実はギター弾きでもあり、昔からよくギターのことを喋る間柄でもある。

そして、この5年間でスタッフもごろっと変わったので、数少ない当時を知る社員さんでもある。

彼から今日グッズ販売用のの黒のTシャツを頂き、しばらく二人で思い出話や近況を交換しながら、
モニターでライブ鑑賞を続けた。


ライブも終盤に近づき、私は1階席、2階席、ステージ横など、再び会場のいろんな角度から、
お客さんでもない、スタッフでもない、メンバーでもない、一人だけの肩書きで、ライブを見続けた。

そして、ダブルアンコールも終え、今一度ステージへ。

これも後日談だが、3日前のリハーサルまでは私は最後にステージに上がる段取りではなかった。

ただ、練習をする中で、ずっと考えてて、やっぱり最後はもう一度ファンの皆さんの顔を見ながら、
挨拶をしたいと思いがくすぶっていた。

なので、当日のリハ前に取締役とディレクターに提案したのだ。

もちろん、シカプーの父である取締役とシカプーのある種兄弟であるディレクターは二つ返事でOK。

ちゃんと段取りを組んでくれた。


会場が広かったため、二階席や奥の席のファンの皆さんにどれだけありがとうの思いが届いたか、
少し自信がない部分もあるが、こうして、私のサプライズゲスト登場、一日復活は幕を閉じた。


今思うことは、

たかが企画であるが、されど企画、本当に価値があることを一緒に創れたという喜び。

とりわけ、メンバーそしてスタッフの皆さんとの縁は、私にとって本当にかけがえのない財産であるということ。

そして、シカプーは、敬虔なまでに真摯に応援してくださるファンの皆さんによって支えられているということ。その絆も再実感できた。

何より、自分は音楽はもとより、シカゴプードルというバンド、そしてファンの皆さんがいまだに大好きである、ということも引退して再認識できたことも大きかった。


ライブも終わり、また別々の生活に戻ったけれど、この思いはきっとこれからも揺らがないと思う。

そして、また機会があれば、あの3人と一緒に音を出してみたいと思う。


最後になるが、当日来てくれたファンの皆さん、

来れなかったけれど、ずっとずっと応援してくださっているファンの皆さん、

今回仕掛けてくださり、支えてくださったスタッフの皆さん、

そして、耕太、マルジ、山口に心から感謝の思いを伝えたい。


本当に素晴らしい機会、学び、音楽をありがとう。

オーレオ!


杉岡秀則


≪完≫
  

Posted by 杉岡 秀紀 at 15:45Comments(20)杉岡日記より

2011年12月22日

サプライズライブ秘話④(当日編その1)

2011年12月17日。ライブ当日。

いつもはライブ会場へは電車で向かうところだが、先日のリハで肩を痛めてこともあり、
同じく京都在住のマルジの車に乗せてもらうことに。

彼は良くも悪くもお酒を飲まない。

なので、昔から自然とライブでの送迎役をかってくれていた。

何ともありがたい存在である。


マルジとの待ち合わせは11時半に長岡京駅。

ただ、東のロータリーを見ても、西のロータリーを見ても彼の車は見当たらない。

杉岡「マルジ、車変わった?」
辻本「そう、最近は自分の車で送迎することは滅多になくなったし、少しコンパクトにしてん」

というやり取りを携帯で交わし、ようやく合流。

一路堂島へ。


車の中では、最近のメンバーや事務所スタッフの皆さんの近況、
また、最近の音楽シーンの話から4人時代の思い出話まで、話に花が咲く。

5年ぶりということもあるのだろう。話題が尽きない。

そうこうしているうちに、予定より30分も前に会場に着いてしまった。

やはり大阪と京都は近い。


駐車場に車を止め、楽屋へ。

もちろん一番のり。

まずはスタッフの皆さんへの挨拶。

そして、それが済んだらいつものごとくステージへ。


辻本「お~広いっすね。夏の森ノ宮よりも一回り大きい感じがする」
杉岡「6年前にワンマンしたビックキャットに奥行きと二階席を足した感じやな」

私は夏のライブ会場を知らないので、森ノ宮はよく分からない。
ただ、イメージとしてはホールというよりも、昔よくライブをしたOn Air大阪(元ヒートビート)や
ビックキャット(Big cat)などライブハウスに近い印象を受けた。


楽屋に帰ると、山口が来て、ロケ弁ならぬライブ弁当(特に呼称はない)を食べていた。

蛇足だが、彼はいつでも食べるのが早い。

食べ始めるのも早ければ、食べ終わるまでのスピードもいつも一番である。

杉岡「今日はよろしく」
山口「よろしく」

一回当たりの言葉は少ないが、同じ大学院に行った仲だけに、
実は会話する総量はおそらくバンドで一番多かったりする。

ツアーなどに出るといつも運転席と助手席を交代しながら、一睡もせずよく一緒に語ったものだ。


サポメン(サポートメンバー)、ディレクター、取締役、キョードー大阪さんなどが次々と楽屋に到着し、
最後にボーカル花沢が登場。

この順番もいつも通り。

杉岡「おっ今日も髪型決まってるやん」
花沢「〇千円」
杉岡「妹かい?」
花沢「ちゃうちゃう」
杉岡「ま、いいわ。今日はよろしく」

付き合いが一番長い耕太とは、お互い両親や兄弟、ペットまで知っているため、
キャッチボールする会話がついつい深くなる。


時計の針は13時半を回った。

会場のセッティングも終わり、いよいよ最終サウンドチェックとリハのためステージへ。


舞監「じゃあ、まず山口さん。バスドラからお願いします」
山口「はい」

ドン、ドン、ドン・・・

こんな感じで、パート、パーツ、パターンごとに音を調整していく。

マルジ→山口とマルジ→サポートキーボード→サポートギター→花沢と続き、最後に私。

杉岡「まずクリーンいきます」
PA「次、歪み系お願いします」
杉岡「ギターソロの音色はコーラス踏んで、ボリュームも上げます」

こんな会話しながら、一人あたり3~5分、長くて一人10分くらい掛けて音を作っていく。

ただ、今日は人数が多いこともあり、サウンドチェックだけで1時間くらいを要した。


舞監「じゃあ、せっかく杉岡さんがステージにおられるので、杉岡さんの曲から行きましょう」


ダ・ド・ド、ダ・ド・ド、ダ・ド・ド、ダン・・・

山口の音が背中の後ろからも足元の返し(モニータースピーカー)から聞こえ、
4人シカプーの音でリハーサルはスタート。


山口「ドラムの返しに自分の音と声をもう少しお願いします」
マルジ「ベースの返しに花さんの声を自分の声を少しあげてください」
花沢「ピアノの返しに、名倉さんのキーボードを少しください」
杉岡「ギターの返しにドラム3点と、ボーカルを少しだけ挙げてください」

こんなやり取りをPAと何度も重ねながら、ステージ上の「中音」を作る作業も続く。

そして、私の持ち曲の2曲が終了。

ただし、今日の全体の曲は22曲。

したがって、その後もリハもほぼ本番と同じ時間の尺でリハーサルは続いていく。


時計の針は予定を少しオーバーし、すでに16時半。

舞監「じゃあ今日は10分押しでいきます!本番よろしくお願いします!」
全員「本番よろしくお願いしま~す」

このあいさつでリハーサルが無事終了。


楽屋に戻れば、もう夜ご飯のお弁当が届いていた。

だが、さすがに本番直前は喉が通らない。


ここからは一人ひとり思い思いに衣装に着替え、直前まで楽器を触ったり、携帯をいじったり、
はたまた声出しをしたり、ストレッチをしたりする時間。

それぞれの緊張の高め方あるいは沈め方で、本番までの時間を過ごす。

そして、あっという間に本番5分前。


ディレクター「そろそろスタンバイをお願いします」


この声でボルテージは最高潮に。

私は最初からステージに上がる訳ではないが、今日はこの6人でのステージ。

なので、オープニングから1階の舞台袖に全員で移動した。


舞台裏ではいつもの気合い入れが始まる。

この習慣も5年間変わっていないようだ。

4人+2人の6人の順で右手が重なった。

ボーカル花沢が音頭を取る。

花沢「今日は年末最後のライブの日。全国からお客さんが来てくれていることに感謝しましょう。
   そして、全力で楽しみながらライブをしましょう!シカプー・・・」

全員「プー!!!」


さぁ、いよいよ本番。

1060人のお客さんが待つステージ、

僕らが向かう場所へ。

≪続く≫
  

Posted by 杉岡 秀紀 at 23:59Comments(4)杉岡日記より

2011年12月21日

サプライズライブ秘話③(前日編)

2011年12月16日。ライブ前日。

仕事を終わらせ、私が向かったのは河原町三条にある

「スタジオRAG」。

もちろん、メンバーは私一人。

よく考えれば、13歳で初めてバンドを組み、中学時代、高校時代、大学時代と
ずっとバンドでしかスタジオに入ったことがなかった。

なので、31歳にして初体験。


このスタジオを選んだ理由は、簡単かつ明確である。

実はアマチュア時代にシカプーでよく使ったスタジオであり、
初めて自己制作で作ったアルバム

「CHICAGO BULLDOG」

をレコーディングした、いわばシカプーにとって聖地なのだ。

ただ、確か最後に利用したのは2003年の京都学生祭典の直前。

だから実に8年ぶりの利用となる。

当然会員証の有効期限は切れ、更新料も支払うはめになったが、そんなのは、些末なこと。

店員「ドラム使われます?」
杉岡「いや、個人練なので、ギーアン(ギターアンプの略)だけです。明日ライブなんですよね」
店員「どこでやらはるんですか?」
杉岡「堂島リバーフォーラムというところですね」
店員「あ~大阪なんですか。。じゃあ明日は行けないですが、最近はスタッフ一同お客さんのライブに
   積極的に足を運ぶようにしてるんでまた教えてください」
杉岡「いい心がけですね~さすがラグさん」

こんな他愛もない、しかしバンドマンならではのやり取りをしながら、二重防音ドアは閉まった。


再び一人となり、シカプーの「History1」をCDデッキにセット。

ボリュームはもちろんジャズコ(ローランドJC-120)から出る音と揃え、夜中にして贅沢な大音量。

「やっぱスタジオに来て正解やった」

1曲目から独り言をつぶやきながら、どんどんとイメージを膨らます。

この日は当日の衣装も持って行ったため、まさに本番さながら。

曲はひたすら当日の2曲。

面白くはないが、これをただただ繰り返す。


「杉岡です!ちょっとだけただいましました!」

MCも珍しく練習。

現役のときはいつもテーマだけを決めて、ほとんどアドリブだったので、
何だか練習する方が逆に緊張するという皮肉さを味わいながらも、積極的に声を出す。

2曲に全身全霊をぶつけたい一心で、1秒たりとも無駄にしたくなかったのだ。


何度同じ曲を繰り返し弾いたのだろう。またそもそも何度この曲を今まで弾いたのだろう。

しかし、そんな言わば飽きるくらいに弾きなれた楽曲だからこそ、伝えられるメッセージがあるだろう。

そう自分に言い聞かせながら、ひたすら同じ曲、同じMCを繰り返した。

そして、約束の1時間。


「ありがとう。明日ライブ頑張ってきますね」

夜中まで仕事を頑張る店員さんにお礼を言って、スタジオを後にした。


日付はまもなく12月17日。

やるだけのことはやった。

あとは笑顔でファンの皆さんと再会するだけだ。


≪続く≫

  

Posted by 杉岡 秀紀 at 21:59Comments(4)杉岡日記より

2011年12月20日

サプライズライブ秘話②(リハーサル編)

2011年12月14日。本番3日前。

5年ぶりに元所属事務所のGIZAがある堀江へ。

四ツ橋の駅を降り、

「このhillsパン工場でよくライブしたなぁ」

とか

「あれ、コンビニがファミマに変わってるやん」

など変わわぬ光景と変わりゆく建物の両方をかみしめながら歩いた。

それは5年間止まったままの時計がゆっくりゆっくりと動き始めるきっかけにもなった。


ただし、体力が落ちたのか、それとも、使う筋肉を体が忘れたのか、
ギターを入れるハードケースやエフェクターケースがやたらと重く、早くも肩が痛い。。
(たとえるならば、会社に到着した時には半分くらい体力を消化していた感じ…)


「おはようございま~す!」

いつものゲネプロスタジオのドアを、いつものセリフで開け入った。

どうでもいいと言えばそれまでな話になるが、芸能界も音楽業界も
一日の最初の挨拶は朝でも昼でも夜でも、決まってこの言葉である。

辻本「お~杉岡君や。変わらんな!」
山口「よろしく」
取締役「よく来てくれたね。今回は楽しみにしているよ」
ディレクター「サポートメンバーとスタッフ紹介しますね」
花沢「・・・じゃあとりあえずジェニーから合わそか」

メンバーはもちろん、音響さんや照明さん、映像さんやPAさんなど、
本番お世話になるスタッフの皆さんに一通り挨拶を済ませ、足元の機材を組み立てる。

「ジー」

音は無事出る。しかし、若干ノイズが耳に障る。

ギターは弾いていたものの、やはり、機材は5年間まったく使っていなかったため、
そう簡単にはストレートに良い音が出てくれないという訳である。
(ここは素直に反省。というか、機材に申し訳ないと思わず思ってしまった)

機材担当のスタッフのお力も借りつつ、シールド(ギターと機材、アンプ等をつなぐケーブル)を交換し、接点復活剤のスプレーを振り、ようやくノイズが消えてくれた。

「OK。」

いつものように山口と目を合わせ、カウントのGOサインを送る。


”ダン・ト・ト、ダン・ト・ト、ダン・ト・ト、ダン・・・”

”いつも一緒の列車に~♪”

花沢の声、マルジのベース、山口のドラム、そして、私のギター、
そこにサポートのお二人のオルガンとギターの音も綺麗に重なり、
一気にシカプーサウンドがタイムスリップした。

“パチパチパチ”

演奏終了後にスタッフの皆さんから拍手をもらった瞬間、

「いける」

と再認識した。

辻本「いや~懐かしいわ。フレーズも音もあの時のままやね」
花沢「ロックやね」
山口「ええんちゃう?」

いつも開口一番はマルジ。そして、山口・花沢が続く。

取締役「腕も落ちてないね。あの頃を思い出し、涙が出そうになったよ」
ディレクター「ばっちりでしたね」

13歳のときに初めてバンドで音を出した記憶、
耕太と出会って初めて自宅での曲作りで彼の声を聴いたときの記憶、
初めてシカゴプードルとしてスタジオで音を出したときの記憶、
5年前にこの場所でリハをして、最後のステージに立った記憶、
そして、東京で一人暮らしを始めてから、久々に実家に帰った気持ちなど

様々な記憶と気持ちが一気に走馬灯のようにやってきた。

「やっぱり音楽って良いな。すごいな。人と人をつなぐ素晴らしいツールになり得るな」

こんな感情を再確認しながら、

「オーレオ」

へと曲は移った。

そして、CDとは少しアレンジを変えての決めなどを何度か練習しつつ、
前後のMCの合わせ、全体の通しもそこそこに、この日のリハーサルは無事終了。

本来であれば再会の杯でもあげたいところだが、ぐっとこらえて、
練習を続けるメンバーよりも先に一人帰途に就いた。


≪続く≫
  

Posted by 杉岡 秀紀 at 22:59Comments(10)杉岡日記より

2011年12月19日

サプライズライブ秘話①(前夜編)

2006年8月12日。

所属事務所一階にある「hillsパン工場」でのワンマンライブを区切りとして、
私はシカゴプードルを卒業し、ミュージシャン生活にピリオドを打った。


「教育」と「音楽」

父方の家系の血からか、昔から教員志望で、そのために大学院まで進んでいた私は、
自分の好きな音楽と血のはざまでいつも悩んでいた。

どちらも大好きだが、体は一つしかない。

時間も有限。

人生二度なし。

つまり、どちらかを選ばないと物理的にも精神的にももたない時期が
この時ついにやって来たのだ。


どちらの道で一生過ごすのか。

その答えを出すのはもちろん容易じゃなかった。

なぜなら、この音楽という業界は好きとか実力とかそういう蓋然性だけでは入れない、
つまり就職活動では入れない業界であることを、痛いほど痛感していたから。

そんな片道通行、あるいは、運という券売機でしか買えない貴重な切符を手にしたのだ。

また、京都学生祭典グランプリバンドとしての責任とプライドを感じていたこともある。

何より、お膝元の関西はもとより、ツアーで知り合った全国のファンの皆さんの笑顔と声、
握手のぬくもり、拍手の心地よさが頭から毎日離れなかったことも決断を鈍らせた。

ただ、現実に突き付けられる経済面も含めた音楽界の厳しさ、また家族のこと、
そして何よりも自分の適性や強みと弱みも総合的に考え、悩みに悩んだ末、
私は涙ながらに音楽界から足を洗う選択を決めた。


卒業以降の自分とバンドの関係を少し振り返ってみる。

引退後すぐに東京に仕事で赴任ということで、関西から離れたことになり、
街中で聞くことはありこそすれ、彼らの生音を聞くことはなかった。

今から思えば、意図的にあるいは意地で聞かないようにしていた時期もあったように思う。

ただ、いつからだろう。

CDの音は自然と聞くようになった。

やはり、花沢の創るメロディは時代や世代を超え、頭を離れない強烈なインパクトがあり、
何かそそるものがあるのだ。

また、苦楽を共にしながら、ハーモニーとリズムを一緒に創り続けた山口と辻本の頑張りを
純粋に応援したい気持ちも少しずつ出てきた。

爾来、「自分のいないシカゴプードル」も素直に受け入れられるようになった。

また、それからは自然とタイミングが合えば、メンバーで数回飲んだり、
個人的に山口と京都で毎年一回程度お茶したりするようにもなった。

マネージャー(現ディレクター)が同い年ということもあり、
彼の存在がいつもシカプーの中和剤として、時折連絡をくれ、
いつでもこの4人をつないでくれたことも大きい。

けれど、

もう一度音を合わせることだけはないと思っていた。

これは自分だけでなく、残りのメンバーもお互いそうだったと思う。


ただ、だからといってギターを売ろうとか機材を売ろうと思ったことは一度もなかった。

むしろ、昔から私はシカプー1の貧乏性かつシカプーコレクターで、今でも
現役の時のものは楽譜も含めて、何一つ私は捨てずに大事にしまっているくらいである。

おそらく、それを捨てるということは過去の自分を全否定することになる、
ということを直感的に分かっていたんだろう。

もしかしたら、自分が0から作ったバンドなので、息子が家から自立しても、また、
たとえ生意気でも息子は息子みたいな、ある種親のような感覚もあったのかもしれない。

いずれにせよ、東京時代もメインのギブソンにフェンダー、そして、エレアコの3台とも持って行き、
時間を見つけては、爪弾いていた。


あれから5年。

時の力とはすごいもので、引退当時のモヤモヤした気持ちもすっかりなくなり、
完全にフラットに、メンバーを、シカプーを見れるように気持ちが変わっていた。


電話がなったのは、ライブ一か月前の11月17日。

電話の向こうはドラムの山口。

山口「杉岡、12月17日って空いてる?」
杉岡「17日は仕事やな~ただ、用件によっては調整するけど。何かな?」
山口「11月30日にベストアルバムを出すやん?だから次の年末のライブでも昔の曲やるし、
   2曲ばかしサプライズで出てくれへんかな?」
杉岡「お~それは面白そうやね。前向きに考えるし、仕事の調整も含めてちょっと時間ちょうだい」
山口「分かった。良い返事待ってるわ」
杉岡「おう。また連絡するし」

こんな1~2分のやり取りで、今回のサプライズ出演が決まった。


≪続く≫  

Posted by 杉岡 秀紀 at 23:59Comments(10)杉岡日記より

2011年12月09日

12の「たいせつなこと」+αを考える

12の「たいせつなこと」

というのがあります。

1.親に感謝する

2.兄弟仲良くする

3.夫婦で協力する

4.友達を信じ合う

5.みずから反省する

6.博愛の輪を広げる

7.知徳を磨く

8.公のために働く

9.ルールに従う

10.祖国に尽くす

11.伝統を守る

12.手本を示す


この12はあまりにも有名ですが、これぞ家庭教育、地域教育の中で、
日本人として自然と今まで引き継いできた価値観だと思います。

ここに付け加えるとしたら、

「自然を愛する(愛でる)」


そして、

「世界を考える」

ですかね。

いずれにせよ、大切なことを大切にする気持ちがまさに大切ですね。

すぎおか拝
  

Posted by 杉岡 秀紀 at 23:59Comments(3)杉岡日記より