2012年11月11日
「『ただいま』と言えば『おかえり』と言ってくれるこの場所で」
「『ただいま』と言えば『おかえり』と言ってくれるこの場所で」
作詞:同志社大学ホームカミングデー音楽祭・後夜祭実行委員会
特別協力:杉岡 秀紀
田辺坂で毎日汗を流し 今出川のレンガに思いをはせる
覚えられないカレッジソング 実は書けない校舎の名前
ハーディーになってしまった学館
作られては消えて行く立て看板
あの日を彩るいくつものモラトリアム
「ただいま」と言えば「おかえり」と言ってくれるこの場所で
それぞれの景色と心をつなぐ過去と未来と現在(いま)を さあ 共に歌おう
田辺返しに怯えながら 今出川デビューを夢見て
ボックスに入り浸っては 新町で独自の世界を築いた
もう食べられないいもねぎ
踏ん張り続けるほんやら洞
あの日を彩るいくつものモラトリアム
「ただいま」と言えば「おかえり」と言ってくれるこの場所で
それぞれの景色と心をつなぐ過去と未来と現在(いま)を さあ 共に歌おう
※本企画は、Twitter企画「#同志社あるある」で募集した単語をもとに実行委員会で編集し完成させました。
あるある企画に参加して下さったみなさん、ありがとうございました。
作詞:同志社大学ホームカミングデー音楽祭・後夜祭実行委員会
特別協力:杉岡 秀紀
田辺坂で毎日汗を流し 今出川のレンガに思いをはせる
覚えられないカレッジソング 実は書けない校舎の名前
ハーディーになってしまった学館
作られては消えて行く立て看板
あの日を彩るいくつものモラトリアム
「ただいま」と言えば「おかえり」と言ってくれるこの場所で
それぞれの景色と心をつなぐ過去と未来と現在(いま)を さあ 共に歌おう
田辺返しに怯えながら 今出川デビューを夢見て
ボックスに入り浸っては 新町で独自の世界を築いた
もう食べられないいもねぎ
踏ん張り続けるほんやら洞
あの日を彩るいくつものモラトリアム
「ただいま」と言えば「おかえり」と言ってくれるこの場所で
それぞれの景色と心をつなぐ過去と未来と現在(いま)を さあ 共に歌おう
※本企画は、Twitter企画「#同志社あるある」で募集した単語をもとに実行委員会で編集し完成させました。
あるある企画に参加して下さったみなさん、ありがとうございました。
2012年11月03日
2012年11月01日
NLPがプレゼン力を上げる!
「NLP」
と聞いて、
「神経言語プログラミング」
と出てきた方は、そっちの世界(自己啓発や心理学系)の“通(つう)”な方です。
ちなみに、これは、
「コミュニケーション技法・自己啓発技法・心理療法技法を中心とした人の主観的な体験の構造を探求する学問」
と説明されたりもしますが、今回はこの話とはしません(いや、正確には、できません(笑))。
それでは、
「NLPとは一体何なのか」
それは、
・Non
・Look
・Presentation
の略です(私の造語)。
つまり、
「原稿は作っても良いけれども、本番は見ずにプレゼンしよう」
ということですね。
まずはこの問題意識を深めるために、2つ質問をしたいと思います。
①なぜイベントにおける市長の挨拶や、学校行事における校長先生の挨拶は印象に残っていないのでしょう?
②なぜ議会の質疑は幼稚園のお遊戯以下なんて揶揄されることが起きるのでしょう?
答えは簡単ですね。もちろん中には素晴らしい挨拶をする人もいますが、その多くが
「伝えてはいるが、伝わってない」
からです。
そして、その多くが、
・棒読みである
・原稿読んでいるだけになっている
・自分で原稿を作っていない
ことに原因があると私は見ています。
私ごとですが、私は昔クラシック音楽の世界(オーケストラ)にいました。
その時には、コンサートやコンクールの度に、何曲何枚にも渡る
「楽譜(譜面)集」
を作り、本番はそれをめくるのも一つの大仕事でした。
また、オーケストラの場合、視線の半分くらいは
「指揮者」
か楽譜を見ており、お客さんを見るのは曲と曲の間くらいだったもんです。
まぁ当然と言えば当然ですね。
これは決して悪いことではありません。
ところが、ジャンルをクラシックからポップス、ロックに変え、
楽器をヴァイオリン・ヴィオラからギターに変えてからは、
ライブ本番で楽譜を見たことはほとんどなくなりました。
そう、全て
「暗譜」
するのです。
それは、2時間のライブであっても、20曲であってもです。
また、視線も指揮者なんていませんから、当然終始
「お客さん」
の方を向いて演奏します。
…以上の2つの音楽経験を通じて、私はプレゼンの極意を学んだ気がします。
結論を先んじれば、ここに
「伝える」を「伝わる」に変えるヒント
があったのです。
つまり、それは、
・本番伝えなければならないことを頭に入れているからこそ、心に余裕できる。
・顔を挙げて、お客さんと目を併せて伝えるからこそ、伝わるものがある。
・全てを作りこむのではなく、余白(即興性)を残すからこそ、ライブ感がでる(トラブルなどにも対応できる)
ということ。
もちろん、これは
「準備もせずにぶっつけ本番」
とは訳が違います。
用意周到に準備をし、練習をし、その上で
「何も見ずにプレゼンをする(NLP)」
ということが大事ということですね。
蛇足ですが、このことはテレビのニュースにも当てはまりまね。
「なぜ昔のニュースステーションがふつうのニュース番組より人気があったのか」
を考えて頂ければ、一目瞭然だと思います。
(この久米さんの遺伝子は今の古館さんにも継承されていますね)
という訳で皆さん。
今日のまとめは
「プレゼン力を上げるには、本番は原稿を見ずにプレゼンしよう(NLP)」
ということでした。
Let's NLP!!
すぎおか拝
と聞いて、
「神経言語プログラミング」
と出てきた方は、そっちの世界(自己啓発や心理学系)の“通(つう)”な方です。
ちなみに、これは、
「コミュニケーション技法・自己啓発技法・心理療法技法を中心とした人の主観的な体験の構造を探求する学問」
と説明されたりもしますが、今回はこの話とはしません(いや、正確には、できません(笑))。
それでは、
「NLPとは一体何なのか」
それは、
・Non
・Look
・Presentation
の略です(私の造語)。
つまり、
「原稿は作っても良いけれども、本番は見ずにプレゼンしよう」
ということですね。
まずはこの問題意識を深めるために、2つ質問をしたいと思います。
①なぜイベントにおける市長の挨拶や、学校行事における校長先生の挨拶は印象に残っていないのでしょう?
②なぜ議会の質疑は幼稚園のお遊戯以下なんて揶揄されることが起きるのでしょう?
答えは簡単ですね。もちろん中には素晴らしい挨拶をする人もいますが、その多くが
「伝えてはいるが、伝わってない」
からです。
そして、その多くが、
・棒読みである
・原稿読んでいるだけになっている
・自分で原稿を作っていない
ことに原因があると私は見ています。
私ごとですが、私は昔クラシック音楽の世界(オーケストラ)にいました。
その時には、コンサートやコンクールの度に、何曲何枚にも渡る
「楽譜(譜面)集」
を作り、本番はそれをめくるのも一つの大仕事でした。
また、オーケストラの場合、視線の半分くらいは
「指揮者」
か楽譜を見ており、お客さんを見るのは曲と曲の間くらいだったもんです。
まぁ当然と言えば当然ですね。
これは決して悪いことではありません。
ところが、ジャンルをクラシックからポップス、ロックに変え、
楽器をヴァイオリン・ヴィオラからギターに変えてからは、
ライブ本番で楽譜を見たことはほとんどなくなりました。
そう、全て
「暗譜」
するのです。
それは、2時間のライブであっても、20曲であってもです。
また、視線も指揮者なんていませんから、当然終始
「お客さん」
の方を向いて演奏します。
…以上の2つの音楽経験を通じて、私はプレゼンの極意を学んだ気がします。
結論を先んじれば、ここに
「伝える」を「伝わる」に変えるヒント
があったのです。
つまり、それは、
・本番伝えなければならないことを頭に入れているからこそ、心に余裕できる。
・顔を挙げて、お客さんと目を併せて伝えるからこそ、伝わるものがある。
・全てを作りこむのではなく、余白(即興性)を残すからこそ、ライブ感がでる(トラブルなどにも対応できる)
ということ。
もちろん、これは
「準備もせずにぶっつけ本番」
とは訳が違います。
用意周到に準備をし、練習をし、その上で
「何も見ずにプレゼンをする(NLP)」
ということが大事ということですね。
蛇足ですが、このことはテレビのニュースにも当てはまりまね。
「なぜ昔のニュースステーションがふつうのニュース番組より人気があったのか」
を考えて頂ければ、一目瞭然だと思います。
(この久米さんの遺伝子は今の古館さんにも継承されていますね)
という訳で皆さん。
今日のまとめは
「プレゼン力を上げるには、本番は原稿を見ずにプレゼンしよう(NLP)」
ということでした。
Let's NLP!!
すぎおか拝