プロフィール
杉岡 秀紀
杉岡 秀紀
1980年、奈良県生まれ。2003年同志社大学経済学部卒業、2007年同大学大学院総合政策科学研究科博士前期課程修了。2009年同博士後期課程退学。臨床政策学者。周旋家。2016年から福知山に移住。

専門は、公共政策、地域政策、地域公共人材論、大学まちづり論、NPO論、大学評価論。

大学時代から環境問題、まちづくりに関心を持ち、2003年にまちづくりNPO「きゅうたなべ倶楽部」を主宰(発起人)。地域に開かれた大学祭の創造や商店街活性化、フリーペーパーの発行・産学連携ITプロジェクト・商品開発・リユースフェアなどのコミュニティビジネスを武器に京都府南部地域におけるまちづくりに取り組む。

2007年からは、いったん地域から離れ、霞ヶ関(内閣官房)へ。行政改革推進本務事務局にて、社会保険庁改革に従事する。

同志社大学政策学部嘱託講師(2009〜2014)、一般財団法人「地域公共人材開発機構」事務局総括(2009〜2012)、京都府立大学公共政策学部講師・地域連携センター副センター長(2012〜2016)を経て、2016年秋より福知山公立大学地域経営学部准教授。京都府立大学京都政策研究センター特任准教授。

社会貢献活動として、龍谷大学地域公共人材・政策開発リサーチセンター 客員研究員、一般財団法人地域公共人材開発機構常任理事、一般社団法人社会的認証開発推進機構評議員、NPO法人グローカル人材開発センター理事、NPO法人京都子どもセンター監事、きゅうたなべ倶楽部アドバイザー、真庭市政策アドバイザーなどを務める。

主な著書は、『地域力再生の政策学』(ミネルヴァ書房、2010年、共著)、『地域貢献としての大学シンクタンク』(公人の友社、2013年、編著)、『地域公共人材をつくる』(法律文化社、2014年、共著)、『住民自治を問いなおす』(法律文化社、2014年、共著)、『もう一つの自治体行革』(公人の友社、2014年、編著)、『持続可能な地域実現と大学の役割』(日本評論社、2014年、共著)、『地域力再生とプロボノ』(公人の友社、2015年、編著)『地域創生の最前線』(公人の友社、2016年、編著)、『自治体政策への提言』(北樹出版、2016年、共著)など。

大学時代(2000年)に結成したバンド「シカゴプードル」では、2003年に京都学生祭典(KYOTO STUDENT MUSIC AWARD)でグランプリを受賞。2004年にCDデビューも果たした(2006年に卒業)。

【HP】 http://sugiokahidenori.jimdo.com
【ブログ】http://e013.dgblog.dreamgate.gr.jp/
【facebook】http://www.facebook.com/hidenori.sugioka/

【主な受賞歴】
2002年 「REALIZE In Kyoto(京都府南部地域における学生による地域政策・ビジネスコンテスト)」グランプリ受賞
2003年 「京都学生祭典 全国学生音楽コンテスト(kyoto student music award)」グランプリ受賞(Chicago Poodle)
2003年 「同志社大学育英賞」受賞
2004年 「エコ京都21」認定(きゅうたなべ倶楽部)
2004年  関西文化学術研究都市「都市びらき10周年」感謝状授与(きゅうたなべ 倶楽部)
2005年  内閣府「生活達人」認定
2005年  京都人間力大賞ファイナリスト
2007年  日本都市計画家協会「全国都市再生まちづくり会議」奨励賞受賞(きゅうたなべ倶楽部)
2012年  京都府「明日の京都」推進特別賞(地域公共人材開発機構)
2013年 「第7回全国大学まちづくり政策フォーラム」優秀賞受賞(杉岡ゼミ)
2013年 「第9回京都から発信する政策研究交流大会」優秀賞(杉岡ゼミ)
2014年 「京都府立大学学長賞」受賞(杉岡ゼミ)
2014年 「第10回京都から発信する政策研究交流大会」京都市長賞、優秀賞受賞(杉岡ゼミ)
2014年  2013年度京都府創発事業認定(京都丹波・写ガール隊)
2015年 「第9回全国大学まちづくり政策フォーラム」優秀賞、政策マネジメント研究所賞受賞(杉岡ゼミ)
2015年 「2015年京都丹波観光プランコンテスト」優秀賞受賞(杉岡ゼミ・京都丹波・写ガール隊)
2016年 「第4回 京の公共人材大賞」奨励賞受賞(京都丹波・写ガール隊)
2016年 「第10回全国大学まちづくり政策フォーラム」優秀賞、政策マネジメント研究所奨励賞受賞(杉岡ゼミ)
2016年 「京都府公立大学法人 理事長表彰」(京都丹波・写ガール隊、地域連携センター学生部会かごら)
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2012年12月31日

終わりもよく、全てなお良し!

昨日は私が2003年に発起(主宰)した

「きゅうたなべ倶楽部」

のOB・現役が集まる

「大同窓会(忘年会)」

が京都の某旅館で開催されました。


年の暮れも暮れということもあり、3分の2くらいの参加者ではありましたが、
立ち上げメンバーから現役スタッフまで、本当に良い懇親の場となりました。

毎年幹事役を引き受けてくれている(というより、むしろ自主的に提案してくれている)
Sくんに感謝、感謝、感謝です。


昨日はまずは市民代表のAさんの乾杯からスタート。

その後はしばしの歓談の後、各自の近況報告がありました。

・現在のNPO活動の傍ら、地域生協で頑張っておられる京田辺在中のAさん
・同志社女子大学で職員として京田辺のために頑張っておられる京田辺在中のKさん
・結婚のために、最近リゾート旅行のベンチャー企業の仕事を退職し、関西に戻ってきた奈良在住のIさん
・東京でのベンチャー企業を退職し、現在奈良で新規就農した奈良在住のOくん
・一昨年経営者として独立し、いよいよスタッフも雇うようになった東京在中のKくん
・中堅企業の跡取りとして、年30カ国を営業で飛び回る愛知在住のSくん
・赤ちゃんが生まれ、すっかり母となった京田辺出身、愛知在住のTさん
・バイク事故で厄払いをし、銀行員2年目で、資格取得に頑張る兵庫在住のTくん
・最近NPO内恋愛を成就させ、無事婚約までたどり着いた銀行員で愛知在住のNくん
・京田辺市役所で働く傍ら、休日は動物園ボランティアに勤しむ京都在住のHくん
・原発を作らない電力会社に勤めながら、最近結婚し、幸せいっぱいの大阪在住のFくん
・法律事務所の秘書の仕事の傍ら、出身の愛媛のまちづくりに精を出す京都在住のMさん
・地元に帰り、畜産関係の保険の仕事に勤しみながら、最近弓道にはまっている岐阜在住のYさん
・現在大手の教育・広報系企業で、母校を含め多くの高校生向けに講演活動を頑張る京都在住のSくん
・公認会計士として、企業の財務を支えながら、最近はもっぱらひとり暮らしを楽しむ東京在住のKくん
・東京から福岡に転勤が決まり、すっかり九州人となった大手ソース会社営業、福岡在住のIくん
・観光に興味を持ち、NPO活動とともに、早くも3回生から卒論を頑張るHさん
・留学を終え、現学生代表として、就活とともにNPO活動を頑張ってくれているMくん


そして、私という順だったのですが、一人ひとり、住まいも仕事も別々ですが、それぞれ

「NPO時代」

の経験や気づきを活かして、社会に貢献にしている、様子がヒシヒシと伝わってきて、
本当に嬉しく、またたくましい瞬間でした。


「まちづくりはひとづくり」

とはもう言い古されすぎた言葉ですが、まさに本質だと思います。


そして、何より不思議なのは、1年に1回しか会えないにもかかわらず、この面々は

「手のひらネットワーク」

ではないですが、良い意味で

「バラバラで一緒」


な気持ちをいつも共有、再確認できるんですよね~

これがなんとも一番面白い。


「点は未来でつながる」

といったのは、かのスティーブ・ジョブズですが、まさにその通りですね。



というわけで、一年を締めくくるにふさわしい、


「3間=時間・空間・仲間」

になりました。


まさに

「終わりもよく、全てなお良し!」

ですね。


いよいよ来年は

「10周年!」




というわけで、今年も皆さん、どうもありがとうございました!


良いお年をお迎えください!


2012年12月31日

きゅうたなべ倶楽部 
発起人 杉岡 秀紀

  

Posted by 杉岡 秀紀 at 23:45Comments(2)杉岡日記より

2012年12月30日

今年のmy10大ニュース

2012年もいよいよおしまいですね。

という訳で、新聞やテレビでも10大ニュースが目白押しですが、ここでは、勝手ながら、

「自分の10大ニュース」

を振り返り、記録にとどめておこうと思います。


【10位】祖母の傘寿お祝い

今年は祖母が

「80歳」

を迎えました。

私が今年32歳ですから、4周り上(同じ申年)になります。

祖母がいてくれて、うちの母がいて、私がいる。

そう思うと感謝せざるを得ない。

もう祖父母のうちで残っているのが、母方の祖母だけですから、
これからも母同様、大事にしたいと思います。




【9位】親戚の結婚式連続司会

今年は長兄の嫁兄妹の司会を

「1年に2回」

もご指名をいただき、務めさせて頂きました。

実は長男の結婚式の司会も私が務めさせて頂きましたので、それも含めると、

「4人兄妹中3人」

ということになります(笑)。

プロではありませんが、喋ることを生業にしているものとしては、
ありがたいことで、何より

「幸せのお手伝い」

ができることが嬉しいですね。

最後のお一人である妹さんからの指名も首を長くしてお待ちしてります(笑)。




【8位】KBS京都ラジオ「武部宏の日曜とーく」への生出演

バンドを引退して以来、コミュニティFMには毎年2~3回出演させて頂いてますが、

「AMラジオ」

は久しぶりでした。

しかも、生出演。

このラジオは朝早いのですが、やはり電波の力は強く、聞いて頂いている方から

「本は出されていますか?」

とのお問い合わせも頂きました。

ありがたいことです。

お誘い頂いた武部さんには改めて感謝申し上げます。




【7位】上海での後輩との再会

今年の夏は、中学校の後輩が移り住み、活躍する

「上海」

にワイフと旅行がてら行ってきました。

ご存知のとおり、この夏は日中関係がかなり悪化しましたので、
少し心配もしましたが、さすがに上海はそこまでひどくなく、
快適な観光となりました。

後輩の奥さん(中国人)とそのお友達(中国人)とも仲良くなり、
個人的にも日中交流ができ、政府レベルと国民レベルの意識の差も感じた次第です。

いずれにせよ、お隣さんですから、これからも仲良くしたいものです。




【6位】浜矩子先生と対談

昨年も安倍晋三総理と対談させてもらった経済人クラブ。

今年はエコノミストの

「浜 矩子 先生」

と対談させていただく機会を得ました。

対談の際には、相手のご著書を全部読ませて頂くのが私の流儀。

浜先生はご著書が多く、仕事の合間にすべて読むのは大変でしたが、
もちろん完読させてもらいました。

個人的には、テレビでは一見怖そうに見える浜先生の素顔はとても優しく、
ファッションも可愛いらしかった、というが驚きの事実でした(笑)。

そして、この対談を通じて、経済学部卒業で初めて得をしたかもしれません(笑)。




【5位】日本評価学会・大学評価セッション座長

今年は

「日本評価学会」

が京都府立大学で開催されること、また大会実行委員長を先輩教員である

「窪田 好男 先生」

が務められることもあり、ありがたいことに私にも1セッションの座長、というお鉢が回ってまいりました。

私のセッションは

「大学評価」

だったのですが、元官僚、元市長、元大学評価機関など、今までこの分野お世話になった方に
勢ぞろいいただき、とても良いセッションを作ることができました。

また、懇親会では大学生協さんと連携し、本学でしか食べられない

「鹿肉カレー」

も準備させてもらいました。

校舎はボロボロですが、思いが伝わる学会にはなったのであれば、幸いです。




【4位】京都学生祭典マネジメント塾の立ち上げ&コーディネーター

デビューのきっかけにもなった

「京都学生祭典」

も今年、早や

「10周年」

を迎えるということで、京都経済同友会の

「圓山 健造 事務局次長」

の発案で、京都経済同友会、大学コンソーシアム京都、実行委員会、同窓会の皆さんと

「マネジメント塾」

というのが立ち上り、私も周旋家パートナーの

「乾 明紀 氏」

と一緒にコーディネートをさせて頂きました。

講師には池坊由紀さん、吉忠ロマン社長、ワタベウェディング会長などなど京都を代表する方に
ご登壇いただき、本当に良い時間・空間ができたと思います。

当日は来賓席で私も見させてもらいましたが、古巣

「シカゴプードル」

のライブもあり、感慨深く10年目の節目を見させてもらった次第です。




【3位】「経済人クラブのうた」&「同志社大学ホームカミングデー音楽祭後夜祭ソング」の制作

私はバンド時代、作詞家でもありました。

数年前はウルフルズのリーダー兼ギタリストのウルフルケイスケさんと一緒に1曲作らせてもらいましたが、

今年は母校の先輩ミュージシャンであり、グリコのカフェオレの生みの親でもあるシンガーソングライター&ティーチャー

「原田 博行さん」

との出会いがあり、

「経済人クラブのうた」
「同志社大学ホームカミングデー音楽祭後夜祭ソング」


の2曲を共同制作させていただきました。

ちなみに、今までも同志社大学の入学式で配るバンド版校歌や平和の曲なども

「参加型」

で作ってきましたが、今回ももちろんそのスタイルです。

やはり、楽曲づくりは楽しいですね。




【2位】地域公共人材開発機構の卒業&理事就任

2008年より組織(財団)の立ち上げからお世話になった

「地域公共人材開発機構」

2012年3月で卒業しました。

この組織では、元逗子の市長でもあった

「富野 暉一郎先生」

という師と出会うことができ、本当にいろいろなことを学ばせて頂きました。

自分の結婚式の時も主賓の挨拶をお願いしたくらいですから、
どれだかお世話になったかを一言で語ることはできません。

今年からは理事(常任)として、別の形で関わっていますが、
優秀なスタッフがたくさんがおられるので、心配は全くしていません(笑)。

これからも共に、人材面から社会に貢献していこうと思います。




【1位】京都府立大学入職&杉岡ゼミの誕生

この4月からご縁をいただき、

「京都府立大学」

に講師(専任)として着任いたしました。

ずっと私立畑で来たので、公立という感覚は初めてなのですが、初年度から

・地域連携センター副センター長
・京都政策研究センター企画調整マネージャー
・地域公共政策士コーディネーター
・大学間共同教育推進事業担当
・学部課程教育委員
・入試担当(出題・試験監督など)


など色々なお仕事を任せてもらい、良くも悪くも一年目から多忙を極めています(笑)。

しかし、一番嬉しかったのは、

「杉岡ゼミ」

というゼミをもてたこと。

早速、ゼミ生と一緒に、京都新聞の記事、ラジオ番組の立ち上げ、夏合宿、地域との協働による学祭
などを経験でき、本当に楽しい時間を送らせてもらっています。

これからも学生とともに社会のために、地域のために、大学のために汗をかきたいと思います。


以上です。

それにしても今年もあっという間の一年間でしたが、本当にたくさんの方にお世話になりました。

お一人おひとりお礼を申し上げられませんが、この場をお借りして、感謝申し上げます。



来年は

「巳」

年ですね。

「me」

とも読めますから(笑)、また一段と自分に磨きをかけながら、社会に貢献できる人材であり続けたいと思います。

来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


平成24年12月31日

杉岡 秀紀 拝








  

Posted by 杉岡 秀紀 at 00:00Comments(0)杉岡日記より

2012年12月29日

府職員の自主勉強会「たんぽぽの会」(第5回)

府職員の自主勉強会「たんぽぽの会」(第5回)

・日  時:平成25年1月16日(水)午後6時半~8時

・場  所:府庁NPOパートナーシップセンター ミーティングスペース

・内  容:
  ①お話し(午後6時半~7時15分)
   ☆テーマ:「「若者が」地域を変える、未来を変える」
   ☆講 師:杉岡 秀紀氏
         京都府立大学 公共政策学部 専任講師
  ②小グループに分かれての意見交換(午後7時15分~8時)

・参 加 費:500円

・新 年 会:終了後、府庁近辺で新年会を予定しております。

・申し込み: たんぽぽ塾、及び新年会の参加の有無を
       京都府ソーシャル・ビジネスセンター 森木隆浩まで、メールでお申し込みください。
       当日参加も歓迎です。メールアドレス: t-moriki90@pref.kyoto.lg.jp

・そ の 他:たんぽぽの会Facebookページはこちら。https://www.facebook.com/Tanpopokyoto
  

Posted by 杉岡 秀紀 at 00:00Comments(0)講演・講座など

2012年12月28日

引退の品格

元ジャイアンツの松井秀喜選手が引退を表明されました。

38歳。

まだ野球人として続けようと思えば、続けられる年。

でも、日本での復帰はせず、引退するとのこと。

小学生のころジャイアンツファンだった私としては、
時代の変化を感じるとともに、曲がりなりも

「プロからの引退」

を経験したものとして、また、同じ30代として、
たくさんの感動と感謝の気持ちを受け取りました。


今日たまたま記者会見をテレビで見れたのですが、
その時のコメントが何とも良かった。


「日本の復帰も考えましたが、ファンの皆さんは10年前の僕を期待されるとも思います。
正直その気持ちに応えられる自信はありません。それが引退の理由です」



そして、その記者会見では、野球人生を振り返って、

「もっといい選手になれたかな」

とのコメントも残されました。


・ポストにしがみつくのではく、今の自分を謙虚に受け入れ、自分に素直に、自分に嘘をつかない。
・落ちるところまで落ちて、周りからそろそろ引退したら?と言われる前に自分で決断する。
(周りから惜しまれるタイミングで、少し後ろ髪引かれるくらいのタイミングで退く)
・未練よりも、お世話になった方々への感謝の思いを忘れない。



何とも美しい引き際でしょうか。

まさにこれぞ

「引退の品格」

です。


今年は阪神の金本選手、またサッカーではゴン中山選手も引退されましたが、
このお二人にも相通じる部分があったように思います。

翻って、政治の世界の引退劇はまさにこの逆。。

中心となる年は違うものの、子どもたちに夢を与える職業として、スポーツに見習うべき点は多々ありそうです。。



松井選手と言えば、石川県は星陵高校のスラッガーとして、当時から

「ゴジラ」

との異名を持ち、高校時代から野球界のスターでした。

明徳義塾高校と星陵高校での

「5連続敬遠」

は今でも昨日のことのように思い出します。


話はややそれますが、そういえば、子どものころは甲子園と言えば

「大人のスポーツ」


という印象で、それこそ、夏の甲子園とプロ野球の違いもあまり見分けがつきませんでした。


それが、いつのまにかに

「同級生のスポーツ」

となり、大学に入ってからは

「後輩のスポーツ」

となり、大学生になって、家庭教師で高校球児を教え始めてからは

「教え子たちのスポーツ」

となり、大学教員となった今では、

「若い子たちのスポーツ」


と定義が変化してきました。


したがって、松井選手のプロとしての20年間は、まさに自分のこの20年間とも重なり、
しみじみと、自身の20年間を振り返らざるを得ないのです。

逆に、その激動の20年の重みを自らの体験で感じるがゆえに、怪我と戦い続け、
プレッシャーと戦い続け、そして、海外という舞台で日本を背負いながら勝負し続けた、
松井選手のすごさに拍手と感謝を送りたくなるのです。


松井選手は記者会見で、

「一番思い出すのは、長嶋監督との素振りの瞬間」

と仰いました。

この感覚もとても共感できます。


なぜなら私の仕事観も

「自分を必要としてくれる人のために働く」

だからです。


松井選手は海の向こうに渡った後もずっとずっと、ひたすら

「自分を育ててくれた長嶋監督のために、そして、結果としてジャイアンツ、日本のプロ野球のために」

戦い続けたのしょう。


その思いが言葉と言葉の間から、また表情から伝わるだけに、本当に感動しました。


そして、その長嶋監督の言葉がまた良かった。

「プレッシャーを与えまいとコメントを控えてきたが、引退したから伝えたい。
あなたは現役で最高のホームランバッターだった」


監督・選手という関係を越え、歴史的なプロのバッターであり、一番尊敬する人から、
こんな花むけの言葉をもらえる松井選手は本当に幸せものですね。


松井選手

本当にお疲れ様でした!

高校通算60本、日米通算507本のアーチもすごかったですが、
松井選手の引退の背中からたくさんのことを学ばせてもらいました。

これからの第二の野球人としての人生に期待しています!




すぎおか拝  

Posted by 杉岡 秀紀 at 20:00Comments(2)杉岡日記より

2012年12月27日

誕生日=感謝の日

今日は母の54回目のバースデーでした。


杉岡家での誕生日は

「祝ってもうらう日」

ではなく、

「感謝する日」

となっています。


世界を見渡してみますと、たとえばいろいろな宗教など、確かに

「誕生祭」


という名で、

「誕生日=周りの人に祝ってもらうお祭り」

になっています。


別にその面を否定するつもりはありません。

ただ、

「本当に祝ってもらうだけで良いのか?」

ということです。


とはいえ、当然のことながら、誕生日は誕生日として、
言葉だけを交わすだけでなく、

・誕生日プレゼント
・誕生日ケーキ(やお花)
・誕生日カード


の三種の神器は用意します。

しかし、これは

「祝う側」


の仕事。一面に過ぎません。


ここに、

「祝ってもらう側の視点」

を同じくらい強調するのが私ども流ということになります。


したがって、今日も

・息子+それぞれの家族たちが母に感謝
・母は祖母に感謝


ということが同時並行で行われます。


なぜこのような習慣に変わったのか。

それも父との別れがきっかけです。


家族は世界で一番小さな社会、そして、世界で一番大切な存在。

しかし、あまりにも当たり前すぎて、その価値はついつい忘れがちになります。


そんな

「当たり前」

を失う経験を通じて、

「当たり前は当たり前じゃない」


という当たり前の事実に気づき、爾来、杉岡家では

「当たり前を大事にする」

ことが暗黙の了解となりました。



そして、当たり前の一つの象徴であり、父が大切にしてきたのが、

「記念日」

だったのです。


父がいる時代は、誰かの誕生日には、

「みんなでご飯→ボーリング→カラオケ」

のゴールデンコースに出掛けたもの。


父の死でそんな当たり前さえできなくなりました。


だから残された家族は、この父の遺志を自分たちに解釈して、
継承する必要があると思うようになったのです。

それも自然と。


それが、

「誕生日は当たり前じゃない。だからこの日を迎えられたことを感謝する日」

という

「新しい当たり前」


を生むに至りました。



さて、次月は私に兄の誕生日。

淡々と新しい当たり前で、感謝を送る準備をするとします。



すぎおか拝

  

Posted by 杉岡 秀紀 at 23:59Comments(0)杉岡日記より

2012年12月24日

命知13年1月1日

今日は、私の13歳の誕生日。


世間ではクリスマス・イブという特別な日ですが、私にとっては、
人生観、死生観が180度変わった、という意味での特別の日になります。

「1999年12月24日」


私はまだ19歳。大学に入りたての1回生でした。

そんな未成年な私がクリスマスイブとして、サンタクロースという神様からもらったのは、

「父との別れ」

という何とも言えないプレゼントでした。



プレゼントというのは

「現在」

という意味があります。


そういう意味では、何ともいえない

「今(現実)」

というものを受け取ったことなります。



あとから知ったことですが、

「先生」

の反対の言葉は

「生徒」

ではなく、

「後生」

だそうですね。

後生とは、前世の反対の意味ですから

「今を生きる」

ということになります。

父の職業も先生であり、私の現在の職業も先生であることからすれば、
何ともいえない、それでいて前向きなメッセージを父は残してくれたことに
皮肉ながら、あっぱれな感謝の思いを最近抱いています。


昨日、ある講演会で

「NPOの原点は、日本の古寺にある」

というドラッカーの言葉を紹介した所、終わってから仏教系の学生さんから、こんな質問を受けました。


「昔は何でお寺が世の中の中心になったんでしょう?」

私の答えは

「当時は宗教の多様性もなく、地域に開かれた公共空間は限られていたはず。
その結果として、お寺が学びや楽しみ、癒し、暮らしの中心となっていったのでしょう」


でした。

ただ、よくよく考えてみると、もう1つありました。それは、

「生病老死という、人間の中でいかんともしがたい4つの苦しみ、人知を超えた現実の意味を
考えるためには、科学を超えた宗教観や信仰心が必要であり、それをお寺や仏教が答えたのでは」


という仮説です。

つまり、病にあう、老いる、死ぬというのも苦しみですが、実は

「生きるというのも人間の苦しみ」

であるという現実とどう向き合ったらよいのか、どう乗り越えたらよいのか、
その答えはない訳ですが、少なくともそのヒントを仏性や自分以外の誰かに求めたのでは、
ということです。


最近の日本では

「無縁社会」「無縁仏」

という言葉がかまびすしい訳ですが、

かのマザーテレサがおっしゃた

「人間の最大の苦しみは飢餓ではなく、孤独である」

という言葉はまさに現実につきつけられています。

昨日も人身事故でJRが大幅に遅延していましたが、これだけ豊かになっても、いや豊かになったからこそでしょうか。

「年間3万人」

という自殺者の数がなかなか減りません。

この現実と我々はどう向き合ったらよいのか。

政党のマニフェストからも、政治家の公約(口約)からも、この現実に対する処方箋はなかなか出てきません。


加えて、20世紀の最後に起こったオウム真理教の事件以来、日本は

「宗教アレルギー大国」


となってしまいました。

「新興宗教=あやしい、悪」


という先入観だけでなく、

「宗教的無関心な国家、国民」


になっている、向かっているのではないか。

そんな危惧すら覚えます。


そこに、まるで拍車をかけるように、グローバル化、IT化、都市部への一極集中、職住の不一致、
核家族化、個人情報などプライバシー意識の権利化などがあいまって、地域コミュニティは確実に壊れつつあります。

その結果がこの

「自殺国家」「無縁国家」「オレオレ国家」


だと思います。多少言い過ぎ、オーバーな表現ですが、決して的外れではないと思います。


話がやや大きくなってしまいましたが、そんな現実、後生を生きるものとして、ゴーギャンをひくまでもなく、

「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこにいくのか」

をいつも考えてさせてくれる原点、それが私にとっての今日なのです。


孔子の教えでは、

15歳:志学
20歳:弱冠
30歳:而立
40歳:不惑
50歳:知命
60歳:耳順
70歳:従心


と言われます。

父は皮肉にも50歳という若さで、命を知り、あの世と旅立ちました。


私は今でも尊敬する人は?と聞かれると、

「父」

と答えます。これは就活では決して模範解答にならないそうですが、私の本心です。

母も同じくらい尊敬していますが、こればかりは男の性(さが)なのでしょう。

小さい頃から父の背中を見ながら、常に父に追いつきたい、父にほめられたいという一心で育ってきたのです。


その父が目の前でいなくなってしまった。

3人いる男兄弟の中でもその死に目に会えたのは、私だけでした。

「人間の死」

というだけなら、祖父や親戚のお葬式などいろいろと小さいころから見てきました。

ただ、

「自分の父、尊敬する人の死」

というものをどのように受け止めたらよいのか、当時の私は分かりませんでした。

ただ、言えることは、

「この事実は現実であり、決して夢ではない」

ということです。

まだ19年しか生きていない若造の自分にはあまりにも思い現実でしたが、この日以来

「人生で初めて死ということを真剣に考え、また向き合う」

ことになりました。

これがタイトルに込めた意味です。


ところで、先ほどの孔子の言葉に似た言葉で

「命知元年」

という言葉があります。これはかの松下幸之助さんの言葉です。

これに似た言葉としては、

「使命、(安心)立命」

という言葉もありますが、要は

「自分の命を知り、命を何のために使うのか」

ということです。私は今から13年前の今日、12月24日にこのことを初めて考え、
変な表現ですが、

「そこからもう一つの人生が始まった」

と思っています。

その意味おいて、今私は32歳ですが、命知という文脈で言うと、

「13歳(中学1年生)」

ということになる訳ですね。


私の仕事観が、なぜ

「世の為に、人の為になる仕事をする」
「自分を必要としてくれる人のために働く」
「ご縁を大事に」


という3つなのか、信条として故三宅久之さんの

「愛妻」「納税」「墓参り」


を大事にしているのか、その原点もここになります。


長くなりますが、最後にプラスのことも書いておこうと思います。


あれから13年。

失ったものも大きかったですが、逆に得たものも大きい13年でした。

まずは

「家族の絆」

昨年の3.11で改めて見直された言葉ですが、私の家族も父の死をきっかけに

「人生二度なし」

という森信三先生の言葉の意味が分かり、一日一日を、そして、もっとも小さな社会、世間である

「家族との時間」

を大切にするようになりました。年に2回ほど行く家族旅行にいくようになったのも、父の死以降のことです。


次に

「仕事観」


一度しかない人生です。

「できれば好きなことを仕事にしろ」

そんな勇気ももらったのも、父のデスクマスクからでした。

私が音楽の世界に飛び込めたのも、ある意味父のお蔭です。

そして、兄二人もそれぞれ好きなことを仕事にしています。

ありがたいことです。


最後は

「人生観(無常観)」

でしょう。

「ケセラセラ(何とかなるさ)」

という言葉がありますが、我々残された家族は、あの日以降、何が起こっても

「それがご縁というもの」
「世の中に常や永遠というものはない」
「現実をただただ受け入れる」


と達観できるようになりました。

ただし、これは何もせずに諦めるということではありません。

自分のことばかり考えず、他人のことを考え、大きな舵取りはある種自然にあるがまま任せる、

「敬天愛人」「則天去私」

ということです。


いずれにせよ、人生とは皮肉なもので、昔から

「禍福はあざなえる縄のごとし」

と言われますが、まさにそのとおりで、本当に

「得るものがあれば、失うものがあり、また失うものがあれば、得るものがあるもの」

です。

「天は二物を与えず」

なんて言葉もありますが、きっと人生は何だかんで言ってもプラスマイナスゼロなんでしょうね。


最後に目を京都に向けてみますと、現在世界一長寿な方は、京都府北部は京丹後市にいらっしゃる

「木村次郎左衛門さん」

だそうです。何と、父の2倍以上の

「115歳」

歴代の日本の総理も全て見てこられ、一番良かった総理は初代の伊東博文だったそうです。


そんな木村さんの健康の秘訣は

①食事
②規則正しい生活
③生きがい(新聞)


だそうです。

また、医学的には

「寿命とは25%は遺伝で、75%は環境」

だとか。


という訳で、私自身、自分の寿命にはそこまで関心はありませんが、命ある限り、
父の分まで一回きりの人生を全うさせてもらおうと思います。


まずは、今日からまた一年、また次の命知14年を笑顔で迎えられることを目標に

「朝は希望に起き、昼は努力に生き、夜は感謝に眠る」

を続けて参ります。


長文、駄文をお読みいただき、ありがとうございました。



>天国で眠る父へ

今からお墓参りに行かせてもらいますね。


命知13年1月1日

杉岡 秀紀
  

Posted by 杉岡 秀紀 at 10:30Comments(3)杉岡日記より

2012年12月23日

プロの泪と青春


「男は黙ってサッポロビール」

というCMが昔ありました。


これになぞらえて言うならば

「男は喋って、生ビール」

これが今回ご紹介する平尾さんと私の関係です。

・・・というのは笑いを取るときの紹介スローガンですが、
平尾さんはNPOの業界で私の先輩であり、兄貴分として慕う、
一回り上の人生の先輩であります。


昨日12月23日、京都は東山いきいきセンターで平尾さんが事務局長を務める

「社会的認証推進機構」
http://withtrust.jp/

主催で

「NPO研修フォーラム(CHANGE NPO)」
というイベントがあり、私も対談相手として、また後段のパネルディスカッションの
コーディネーターとして、登壇させて頂きました。

その対談の時のこと。

「現場のNPOは頑張っているんです。そんな頑張っているNPOにこれ以上頑張れって言われても、頑張れない。
大事なことを頑張っているプレイヤーを応援するスタジアムに応援してくれる人を連れていく仕組みをつくることなんです」


と対談相手である平尾さんが涙目に訴えられました。

私も現場の気持ち、平尾さんの気持ちが痛いほどわかるだけに
こみ上げるものがありましたが、対談でお互いが涙したら形にならないので、
あえてふりきり、平尾さんの気持ちを引き取る発言を冷静にさせて頂きました。


男が泣くときは、

・自分が生まれた時
・母親が死んだ時
・その他が3回


と言われます。


今回平尾さんは、このうちの3回のうちの1回を使われました。

この涙の裏側にあるものは何か。

・安定的な職場から社会のために飛び出し、不安定な職場の中でも年長として後輩をリードしてきたプレッシャー
・現場の方から悩みや苦悩をひたすら聞き、共感共苦しながらも、明日の光のために工夫と努力をしてきた過去と今
・新しい組織を作り、笑顔を振りまきながらも、明日のNPOの活力につながる仕組みを毎日毎日考えてきた孤独感

などなど

いろんな背負うものが一気にあの会場、あの時、あの瞬間にすべてが重なったのだと思います。


男が人前で涙を見せるのは正直恥ずかしいものです。

私もプロのミュージシャンをやめる決断をした最後のライブで、思わずこみ上げる思いを抑えきれず、
ファンの皆さんの前で涙してしまった2006年を思い出します。

いま思い返しても、穴があったら入りたい気分になります。


でも、そんな恥を越えて涙、いや、泪してしまう時が人生にはあります。


そこに私は本当の

「プロフェッショナルとしての覚悟」


のようなものを見ることができると思います。


プロとは何か。

正確な定義は忘れましたが、リクルートワークス研究所の大久保さんが『キャリア・デザイン』という本の中で

・資格試験など一定のハードルを突破してなる職業
・伝統的な知識や技術を継承してつく職業

といった定義のほかに、確か

「誰にも負けないなどの誇りを持って、未来の社会のために切り拓こうとする心の持ち用」

といった定義があったと思います。


この定義がまさに平尾さんにぴったり。


つまり、孤軍奮闘で、ときに四面楚歌で、だけど、自分が与えられた使命を全力で全うしようとする生き様。

まさにここに平尾さんの涙の訳を見ることができるという訳です。


そして、ここで思い出すのはサミュエル・ウルマンの

「青春」

という詩です。

青  春
           
原作 サミエル・ウルマン

青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相ようそうを言うのだ。

優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦きょうだを却ける勇猛心、安易を振り

捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。歳月は

皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。

苦悶や狐疑こぎや、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰あたかも長年月の如く人を老い

させ、精気ある魂をも芥あくたに帰せしめてしまう。

年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。

曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対

する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への

歓喜と興味。人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる、

人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる、

希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる。

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限

り、人の若さは失われない。 これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥

までも蔽いつくし、皮肉の厚氷あつごおりがこれを堅くとざすに至れば、この時にこそ人は

全く老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。



まさに年齢を超えて、青春していますね、我々(笑)。

昨日は脱力感からか、達成感からあまりお話しできませんでしたが、
今度はまた二人でこのテーマで、

「男は喋って生ビール」

を実現したいと思います。


泪をアルコールに変えて。



>平尾の兄貴。

プロの泪をありがうございました。





  

Posted by 杉岡 秀紀 at 23:59Comments(0)杉岡日記より

2012年12月11日

『経済人クラブ』のうた

『経済人クラブ』のうた

作詞 原田博行・杉岡秀紀/作曲 原田博行

始まりは戦後 七人の勇士 この国のために立ち上がった
時に競い合い 励まし合い 語り合った夜 あの日が今を切り拓いた

笑って泣いて 仕事を越えて 「乾杯」が我らの合言葉

繋がる友 我らは良きライバル 経済人クラブ きょうから明日へ未来を描く


歴史を重ね受け継ぐ志 この国への愛で集まって
共に競い合い 励まし合い 語り明かした夜 あの日が夢に勇気をくれた

泣いて笑って 世代こえて 「乾杯」 がみんなの合言葉

繋げる友 それが世のララバイ 経済人クラブ きょうから明日へ未来を歌う

繋がる友 我らは良きライバル 経済人クラブ きょうから明日へ未来を描く
  

Posted by 杉岡 秀紀 at 00:00Comments(0)歌詞集

2012年12月04日

【1月に延期となりました】「たんぽぽの会」

「たんぽぽの会」

日 時:2012年12月18日 → 1月に延期になりました
場 所:京都府庁
講 師:杉岡 秀紀(京都府立大学公共政策学部講師)
テーマ:「職業としての地域公共人材~公務員から公共務員へ~(仮称)」
その他:本会は2013年度に京都府に入庁される未来の公務員の皆さん対象の研修も兼ねた講演会になります。

  

Posted by 杉岡 秀紀 at 00:00Comments(0)講演・講座など