プロフィール
杉岡 秀紀
杉岡 秀紀
1980年、奈良県生まれ。2003年同志社大学経済学部卒業、2007年同大学大学院総合政策科学研究科博士前期課程修了。2009年同博士後期課程退学。臨床政策学者。周旋家。2016年から福知山に移住。

専門は、公共政策、地域政策、地域公共人材論、大学まちづり論、NPO論、大学評価論。

大学時代から環境問題、まちづくりに関心を持ち、2003年にまちづくりNPO「きゅうたなべ倶楽部」を主宰(発起人)。地域に開かれた大学祭の創造や商店街活性化、フリーペーパーの発行・産学連携ITプロジェクト・商品開発・リユースフェアなどのコミュニティビジネスを武器に京都府南部地域におけるまちづくりに取り組む。

2007年からは、いったん地域から離れ、霞ヶ関(内閣官房)へ。行政改革推進本務事務局にて、社会保険庁改革に従事する。

同志社大学政策学部嘱託講師(2009〜2014)、一般財団法人「地域公共人材開発機構」事務局総括(2009〜2012)、京都府立大学公共政策学部講師・地域連携センター副センター長(2012〜2016)を経て、2016年秋より福知山公立大学地域経営学部准教授。京都府立大学京都政策研究センター特任准教授。

社会貢献活動として、龍谷大学地域公共人材・政策開発リサーチセンター 客員研究員、一般財団法人地域公共人材開発機構常任理事、一般社団法人社会的認証開発推進機構評議員、NPO法人グローカル人材開発センター理事、NPO法人京都子どもセンター監事、きゅうたなべ倶楽部アドバイザー、真庭市政策アドバイザーなどを務める。

主な著書は、『地域力再生の政策学』(ミネルヴァ書房、2010年、共著)、『地域貢献としての大学シンクタンク』(公人の友社、2013年、編著)、『地域公共人材をつくる』(法律文化社、2014年、共著)、『住民自治を問いなおす』(法律文化社、2014年、共著)、『もう一つの自治体行革』(公人の友社、2014年、編著)、『持続可能な地域実現と大学の役割』(日本評論社、2014年、共著)、『地域力再生とプロボノ』(公人の友社、2015年、編著)『地域創生の最前線』(公人の友社、2016年、編著)、『自治体政策への提言』(北樹出版、2016年、共著)など。

大学時代(2000年)に結成したバンド「シカゴプードル」では、2003年に京都学生祭典(KYOTO STUDENT MUSIC AWARD)でグランプリを受賞。2004年にCDデビューも果たした(2006年に卒業)。

【HP】 http://sugiokahidenori.jimdo.com
【ブログ】http://e013.dgblog.dreamgate.gr.jp/
【facebook】http://www.facebook.com/hidenori.sugioka/

【主な受賞歴】
2002年 「REALIZE In Kyoto(京都府南部地域における学生による地域政策・ビジネスコンテスト)」グランプリ受賞
2003年 「京都学生祭典 全国学生音楽コンテスト(kyoto student music award)」グランプリ受賞(Chicago Poodle)
2003年 「同志社大学育英賞」受賞
2004年 「エコ京都21」認定(きゅうたなべ倶楽部)
2004年  関西文化学術研究都市「都市びらき10周年」感謝状授与(きゅうたなべ 倶楽部)
2005年  内閣府「生活達人」認定
2005年  京都人間力大賞ファイナリスト
2007年  日本都市計画家協会「全国都市再生まちづくり会議」奨励賞受賞(きゅうたなべ倶楽部)
2012年  京都府「明日の京都」推進特別賞(地域公共人材開発機構)
2013年 「第7回全国大学まちづくり政策フォーラム」優秀賞受賞(杉岡ゼミ)
2013年 「第9回京都から発信する政策研究交流大会」優秀賞(杉岡ゼミ)
2014年 「京都府立大学学長賞」受賞(杉岡ゼミ)
2014年 「第10回京都から発信する政策研究交流大会」京都市長賞、優秀賞受賞(杉岡ゼミ)
2014年  2013年度京都府創発事業認定(京都丹波・写ガール隊)
2015年 「第9回全国大学まちづくり政策フォーラム」優秀賞、政策マネジメント研究所賞受賞(杉岡ゼミ)
2015年 「2015年京都丹波観光プランコンテスト」優秀賞受賞(杉岡ゼミ・京都丹波・写ガール隊)
2016年 「第4回 京の公共人材大賞」奨励賞受賞(京都丹波・写ガール隊)
2016年 「第10回全国大学まちづくり政策フォーラム」優秀賞、政策マネジメント研究所奨励賞受賞(杉岡ゼミ)
2016年 「京都府公立大学法人 理事長表彰」(京都丹波・写ガール隊、地域連携センター学生部会かごら)
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2015年01月17日

最終講義考

今年は本学で3名の先生が定年退職を迎えられるということで、

「最終講義ラッシュ」

であった。

小中高と違って、大学の教員が他の教員の講義を聴くことはめったにない。

その意味からも貴重であり、当然3回とも拝聴させて頂いた。

最終講義とは言わば、教員にとっては教員人生の集大成である。

タイプとしては、大学のミッションに照らし合わせ、

①研究ベースの最終講義
②教育ベースの最終講義
③地域貢献ベースの最終講義

の3パターン、あるいはその組み合わせが主流だと思うが、
今年連続で聞いてみて、つくづく

「最終講義=その人のキャリア論、ライフストーリー」

であると思った。

人生には上り坂もあれば、下り坂、またまさかがある。
そして、その時々に色々な人が関与し、影響を与えている。
これらがすべて最終講義の際に体系的に見える化される。

つまり、最終講義とは、教員としてというより、一社会人として、一職業人として

「何を考えてきたのか、そして、何をしてきたのか、またなぜそうしたのか」

が全て出る。隠しても自然とそれが出る。

したがって、最終講義の際に集まる人たちのメンバーやその人たちとの教員の心理的距離、
そして、その際のお互いの表情を見れば、その教員の実績が全て分かる。

「男の顔は仕事がつくる」

との言葉を昔聞いたことがあるが、男女に限らずそうだと思う。


という訳で、自身の最終講義を想像してみた。

まだ教員歴7年目なので輪郭がぼんやりしているが、少なくとも
自分の結婚式やバンドを引退ライブがイメージが近いのかもしれない。

当然、この先生涯教員を続けているかどうかは分からない。
複雑・多様化・高度化・複雑化した世の中だから。

当然、また今の職場にずっといるかも分からない。
流動性の低い日本社会においては珍しい流動性の高い職業だから。

ただ、いつかはその時は来る。

その時に備えて少しずつイメージをしようと思う。

いわゆるフォアキャスティングではなく、バックキャスティング。


最後に私が印象に残っている最終講義を紹介したい。

直接、またリアルタイムで見た訳ではないが、これを見た時は衝撃だった。

ランディ・パウシュ氏。

https://www.youtube.com/watch?v=jyyzWRp_VpM

こんな最終講義をしたいと思う。


問いかけは実にシンプルである。

誰のために、何を伝えたいか。


「後世へ遺すべき物は、お金、事業、思想もあるが、
誰にでもできる最大遺物とは、勇ましい高尚なる生涯である。」(内村鑑三)



平成27年1月17日

杉岡 秀紀 記  

Posted by 杉岡 秀紀 at 00:00Comments(0)杉岡日記より

2015年01月15日

白鳥春彦編訳『超訳ニーチェの言葉』

白鳥春彦編訳『超訳ニーチェの言葉』ディスカバー・トゥエンティワン、2010 読了。

ニーチェは1844〜1900年に行きた哲学者である。

24歳でスイスのバーゼル大学教授になった(早!)とのことだが、10年ほど教職を勤めた後病気がちになり、その後はヨーロッパ各地を旅しながら著述と思索にふけた。

彼の最も有名な作品は『ツァラトゥスラはかく語りき』だろう。この作品は楽曲にもなっている。

彼の哲学はカントやヘーゲルのような体系的なものではない。むしろ芸術家と称されることもある。

またナチスの思想の土台となったとの批判もあるが、それはどうやら誤解であるようだ。

ともあれ、彼の哲学はこの世に生きている人間の道徳が必要との価値観。「生の哲学」と言われる所以である。

というわけで本書、己→喜→生→心→友→世→人→愛→知→美、と続く。

以下は私が心に残った言葉を幾つか抜粋したい。

・真の教育者は開放する。
・きちんと考える人になりたいのであれば、人付き合いをすること、書物を読むこと、情熱を持つこと。
・自分の評判など気にするな。
・自分を遠くから見てみる。
・楽しんで学ぶ
・始めるから始まる。
・脱皮して生きていく。脱皮しない蛇は破滅する。
・日々の歴史をつくる。
・共に苦しむのではない。共に喜ぶ。
・安定志向が人と組織を腐らせる。
・一台目の車をうまくよけた直後が危険。
・偉人は変人。
・体験だけでは足りない。
・笑い方に人間性が現れる。
・持論に固執するほど反対される。
・人の高さを見る眼を。
・力を入れ過ぎない。
・話し合いは互いに考えの産婆になる。
・どこから来たかではなく、どこへ行くかが最も重要。
・人を育てるには拒絶しないこと。


超訳なので意訳すぎる部分や誤訳の部分も多少あるだろうが、ニーチェが言わんとしたことは伝わるエッセイ的な一冊ではないだろうか。  

Posted by 杉岡 秀紀 at 00:00Comments(0)大学生に薦めたい一冊

2015年01月11日

卒論論

今年も卒業論文(以下、卒論)のシーズンを迎えた。

私の所属する大学では卒論は8単位、卒論ゼミが4単位ということで、いずれも必修としている。
134単位のうちの12単位なので、およそ10%が卒論の単位である。
そのことからもいかに卒論を重視しているのかが分かる。
逆に言うと、卒論を書かないと卒業できない。

確かに最近ではマンモス校を中心に卒論を書かずに卒業できる大学も少なくない。
データは持ち合わせていないが、感覚的にはそちらの方がむしろ多いかもしれない。
しかし、個人的には単純にもったいないな、と思う。

そこで今日は卒論の効用を改めて考えてみたい。

卒論の効用は結論から言うと、

①学部での学びの集大成
②卒論執筆を通じてのアカデミックスキルの獲得
③1つの論文(作品)を自己完結させることを通じての喜びや感動
④社会に出てからの名刺・シグナリング機能
⑤学びと働きの接続機能


の5点ほどあると思う。順に考えてみよう。


①学部での学びの集大成

言うまでもなく、大学とは最高学府である。また最後の高等教育機関である。
しかし、4年間学んだこととは一体なんだったのか、それを説明するのは難しい。
紙一枚で証明するのは卒業証書(学位)であるが、それだけではよく分からない。

事実私は経済学部卒業だが、学部レベルで経済学が全て分かったのかと問われると、
当然そんなことはない。

しかし、学問の一部に過ぎないが、卒論で取り組んだテーマについては、
卒論を書く中で当然詳しくなる。プチ専門家というやつである。

つまり、シンプルに言えば

「大学で何を学んだの?」

と言った時に少なくとも

「◯◯を研究していました」

と自信を持って答えられるようになるのである。

当然学部レベルであるので、研究者から見れば卒論のレベルなど大したことはないが、
これを言えるのと言えないとでは大違いである。
(ちなみに私は「地域通貨」について書いた)


②卒論執筆を通じてのアカデミックスキルの獲得

卒論を書くことを通じて実は、色んなスキルを獲得できる。

たとえば、

・仮説を構築する力
・文献を集める力
・論文等を(批判的に)読む力
・アンケートやヒアリングを通して客観的に捉える力
・自分の考えをまとめる力
・文書をチェックする力
・自分の主張を伝える力


などなど。挙げ始めればキリがない。

これは大学時代はアカデミックスキルと言われるが、社会に出れば、

「ジェネリックスキル」「ソーシャルスキル」

として水平展開できる力も多い。

たとえば、発想力一つ取っても、この分野では
ジェームズ・ヤングが『アイディアの作り方』という名著の中で

①データ集め
②データの咀嚼
③データの組み合わせ
④ユーレカ(発見した!)の瞬間
⑤アイデアのチェック


と説明しているが、言葉が違うだけでまさに同じことである。

言うまでもなく、これは学部の講義を受けたり、ゼミ活動だけでは得られない力でもある。


③1つの論文(作品)を自己完結させることを通じての喜びや感動

私は卒論の受け取り担当でもあるので、例年50〜60本の論文を受け取る。
その際に実は毎年多くの笑顔と涙と出会う。

これは裏返して言えば、卒論はそれだけ大変であるということであるが、
要は大変な分だけ乗り越えた喜びがひとしおなのである。

卒論は通常一人15,000〜20,000字なのだが、これだけの分量の文書を書くことは
研究職や作家にでもならない限りはそうはない。

文書を書くことを仕事にしている我々でも決して楽な数字ではない。

だからこそ書き上げた時には、その苦行から開放された喜びと、
その苦行を乗り越えた自分に対して笑顔と涙が出るのであろう。

一言で言えば

「一皮むける」

というヤツだろうか。

就活後の学生たちの笑顔や態度にも近いものがあるが、これは就活だけでは得られまい。


④社会に出てからの名刺・シグナリング機能

卒論は実は一生つきまとう。

というのは、自分から話す意識がなくとも、他大学出身者と初めてであった時に

「卒論は何書いたの?」

という共通の話題になりやすいのだ。

社内の懇親会や異業種交流会、同窓会などでも出てくる出てくる。

当然これだけで給料が増えたり、昇進したりということにはならないが、
人と人とのコミュニケーションの潤滑油になることは間違いない。

ただ悲しいかな、この重要性は学生の時分には感じないし、分からない。

したがって、卒論を書いた先輩が後輩達にこの重要性を伝えることがポイントとなるのである。


⑤学びと働きの接続機能

学びと働くをつなぐ、と言えばやや大げさかもしれない。

またこれは全員に当てはまる訳でもない。

しかし、事実として卒論で書いたテーマの組織に就職したり、
卒論のテーマがきっかけとなり就職してからの部署の配属が決まったり、
もっと言えば卒論を通じて人生のテーマが決まったりという人もいる。

つまり、ゴールとしての卒論というケースもあれば、
スタートとしての卒論というケースもあるのである。

いずれにしてもそうした学びと学び、学びと働き、働きと働きをつなげてくれる、
そんな役割を卒論が担うことがある。

学びと働きがつながることをほどハッピーなことはない。

一言で言うと

「卒論=ライフテーマ」

になるのだから。


以上、5点が私が考える卒論の効用である。

ぜひこれから卒論を書くチャンスがある人は前向きにトライして欲しい。
たとえそれが必修であれ、必修でなくても。

そして、必修として書く人も嫌々書くのではなく、
上記のような付加価値があることをぜひ知って頂きたい。

というわけで、卒論論のまとめに代えて一言メッセージ。

迷ったら書こう。

書くなら喜んで書こう。

たかが卒論、されど卒論。

卒論を笑うものは、卒論に泣く。


平成27年1月10日

 杉岡 秀紀 記  

Posted by 杉岡 秀紀 at 00:00Comments(0)杉岡日記より

2015年01月01日

2015年年頭所感

あけましておめでとうございます。

馬年はあっという間に駆け抜け、羊年の到来ですね。

さて、今年のNHKの大河ドラマは

「花燃ゆ」

ですね。

というわけで吉田松陰(正確には妹さん)にスポットライトが当たるということで、
このブログも松陰の言葉からスタートしたいと思います。

ちなみに吉田松陰の幼少時の名字は「杉」です。

何かご縁を感じますね。


【その1】 正月にはいづくにも つまらぬ遊事をするものに候間、
              夫れよりは何か心得になるほんなりとも 読んでもらひ候へ


 (お正月にはどこでもつまらない遊びをするものである。
  そんなことより何かためになる本でも読んでもらいなさい)

これは正月の日経に紹介されていた言葉からの抜粋です。

正月くらいゆっくりさせて〜との声も聞こえてきそうですが、
人が休んでいる時だからこそ、の精神が大事ということですね。


【その2】 万巻(まんがん)の書を読むに非(あら)ざるよりは
           寧(いずく)んぞ千秋(せんしゅう)の人たるを得(え)ん


(沢山の書物を読破するのでなければ、どうして長い年月にわたって名を残す、
不朽の人となることができるだろうか。いやできない。
自分一身に降りかかる労苦を何とも思わないような人でなければ、
どうして天下国家の人々を幸せにすることができようか。いやできない。

これはその1の続きのような言葉ですが、読書の重要性を説く言葉です。

私も年間250〜300冊を目標に本を読んでいますが、1万冊読もうと思うと、30年はかかります。
しかし、知識や知性、知恵というものは泥棒にも盗めないものですから、本当に重要だと思います。

【その3】 おもしろきこともなき世をおもしろく (すみなすものは心なりけり)

これは松陰の言葉ではなく、松陰の弟子である高杉晋作の辞世の句ですが、
私も大学時代から気に入り、よく「世」という箇所を色んな言葉に変えて使わせてもらっています。


というわけで、今年もよく読み、よく喋り、よく書き、そして人生や社会を少しでも面白くできるよう、
心、人間力を磨いて参りたいと思います。


平成27年 元旦

杉岡 秀紀 記

  

Posted by 杉岡 秀紀 at 00:00Comments(0)杉岡日記より